救命病棟24時
2005年3月28日 00:18 | コメント (0) | トラックバック (1)
基本情報
公式ページ
フジテレビ系列:火曜21時 救急病院を舞台にした医療ドラマシリーズの第三弾。いくつかのエピソードが同時進行する形式で、ミもフタもなく言ってしまえば日本版 ER を狙ったもの。(ER はマイケル・クライトン原作の人気医療 TV ドラマシリーズ。まあ、この作品のハデな話作りはどちらかというと CHICAGO HOPE っぽい。)主演は江口洋介で、他に松嶋菜々子、香川照之、平田満など。深夜番組「水曜どうでしょう」で人気に火がついた大泉洋も「冗談好きで軽い感じ。独身だが、若い女性に好かれるフェロモンはなく、いつもヘラヘラしていると職場では軽く見られている看護師(公式ページより)」として出演している。
今回は東京に直下型の大地震が起きたという設定で1シリーズかけて災害時の救命医療の現場を描く。
シリーズ総観
大地震発生時の救命医療現場という難しいテーマとエンターテインメント性を高い次元で両立させた作品。描かれていた内容が良かっただけではなく、それ以上つっこむと娯楽性を阻害する境界の見極めや、自爆しそうなエピソードは避けるといった「描かない」判断も良く出来ていた。もう少しつっこんで欲しい部分がばっさりと切られている事が多かったが、それらもこういった配慮によるものだろう。
ただ、エンターテインメント性を高める上で大きなウェイトを閉めていた要素ではあるのだが、進藤医師の存在があまりにも大きく描かれすぎていたのが残念だった。最初から最後まで、技術・人柄・姿勢・情熱といった全てが完璧で、物語の展開に大きく関わってくるため「正しく完全な進藤医師」の行動が話を単純化しすぎていた。
ある選択肢が正しいとして、それは他の選択肢が間違っている事とイコールではない。また、何かの判断や感情は正・誤のどちらかだけに分類されるものではない。日常においてもこのような状況はいくらでもあるが、この作品のような緊急事態ではよりいっそうこの傾向が進む。
しかし、パーフェクトドクター進藤の存在と行動は、彼の進む道が唯一の正解であるかのような印象を与えてしまう。もちろん、その安心感や分かりやすさはエンターテインメント的側面からは非常にプラスに働いていたが、何も彼一人だけがその役割を担う必要は無かったと思う。
まあ、そんな物言いも全体の出来が良いゆえの高望みと言ってしまえばそれまでかもしれない。十一話という僅かな分量で実際に描かれたエピソードを見せるには、ヒーローを用意する以外には相当難しそうだ。
おすすめエピソードは第二・三・五話。
第一話
「各登場人物の背景をざっと紹介し、ラストに今シリーズのキーワードである東京直下型地震が起きる」という一文で表すことができる第一話。時間が無いため掘り下げは浅いが、各人物・背景に設定されたものは古典的と言えるほどに分かりやすいもので、この人の話はここに注目して見てくださいね、という制作者の意図は理解できた。1分30秒にわたる地震発生時の揺れ、リアルに再現された倒壊した街並といった画的な描写と共に、いつもと勝手の違う現場の状況に混乱する救急病棟の医師たちの様子もきっちり描かれており緊迫感があった。
今後の描き方次第で「時事性があり意義深い内容」もしくは「話題作りを狙ったもので不謹慎」と正反対の評価を受ける可能性のあるこのテーマにとりあえずは期待したい。
第二話
トリアージがテーマ。(トリアージ:災害医療における3つのT.....Triage : 選別 / Treatment : 応急処置 / Transportation : 搬送.....の1つ。限られた人的、物的資源のなかで最大多数の傷病者に最善の医療を尽くすために処置の優先順位を設定すること)医療ドラマでトリアージを扱う場合、一見大けがに見える軽症患者よりも、脳内出血など外部からは分かりにくい重症患者を優先して治療するシーンを作り、医師への反発を一通り描いた後に患者たちが真意を知って、医師への信頼が回復するというのがパターンである。しかし、この一連の流れは上手く描かないと、真意を知って感動というより「だったら最初から説明しとけ、このバカ医師」になってしまう。(Dr. コトー診療所のあるエピソードがまさに後者のパターンだった)
今回の場合、進藤医師の説明は多少不足気味だったが全体の流れは非常に良く、盛り上がるシーンに仕上がっていた。なにより患者(と視聴者)に反発を抱かせる場面で、軽症患者を後回しにするだけでなく重症でも手の施し様の無い患者は諦め、その時間と物資を助かる見込みの高い人に回すというトリアージの辛い選択も描いたことが良かった。
クライマックスで、トリアージする進藤医師の目に浮かんだ涙を見てもなお、すぐには納得できず「ちきしょう。じゃあ俺たちはただここで、待ってろって言うのか」と叫んでしまう男。ただ待つだけなのか問うその男に「助けを待つ人はたくさんいます、その人たちを助けに行ってください」と絞り出すように答える進藤医師。そこで初めて男や周りの人々は自分たちが置かれている状況と、その中で医者が、そして自分達が何をすべきなのかを悟る。
これ以上進藤医師を悪者にしたままひっぱってもシンドイし、かといって物わかりが良すぎてもオヤクソクの予定調和にしか見えない。絶妙なバランスで描かれたこのシーンは見ていてぐぐっ引き込まれるものがあった。医療現場に限らず、最前線というものは時として残酷な判断を必要とする。どんなジャンルでもなんだかんだと言って人情話にしてしまう日本のドラマで、この先どこまで描けるのかわからないが、ドラマ版「ブラックジャックによろしく」の最終回のようにならない事を願ってやまない。
第三話
東都中央病院高度救命救急センターを中心に、様々な人々に訪れる極限状態を描く。次々と送られてくる患者を前に時として無情な治療打ち切りを命じる医局長と、その早すぎる判断に納得できない若い医師。こういった展開自体は医療ドラマではよく見かけるパターンである。しかし、今回は起きている出来事は似ているものの、その意味するところは多少異なっている。それが「今はスタッフが足りないんです」「だったらなぜ日比谷先生を帰らせたんですか」という短いやりとりによって上手く表現されていた。(日比谷先生というのは道路の混乱により全く患者が来なかった第二話で「医者だって家族がいるひとりの人間。患者が来ないなら家族のもとに行かせてもらいます」と言って帰った医師)
「今はスタッフが足りないんです」という状況説明まではこの作品も含め、こういった場面では必ずと言っていいほど目にするものである。しかし、それに対する反論は「でも、助かる可能性があるのに見捨てるんですか。諦めちゃうんですか」というものがほとんどである。これは、そのシーンが若い医師の成長を描く為に作られているからである。治療を止めるという行為は観客を含め素人から見れば諦める事であり、何より患者を見捨てているように映る。そして、未だ素人に似た目線を持つ若い医師にとってはその行為が許しがたく、前述の言葉を投げつけるという訳だ。
しかし今回の場合、若い医師も成長すれば別の判断を下すだろうという点では同じだが、ここで描きたいのは成長云々よりも極限状態における判断の正誤や葛藤、またはその極限状態そのものだろう。
だったらなぜ日比谷先生を帰らせたんですか.....スタッフがいないから患者の治療時間が短くなるというのなら、なぜ医師を帰らせたのか。まったくもって正論である。しかし、前回進藤医師が言った「みんなが被災者なんです」の被災者には医師本人、そして医師の家族もまた含まれているのだ。安否すら分からない家族のもとに帰りたいというスタッフを黙って行かせた自分の判断は正しかったのか。引き止めてここで治療をしようと言うのが正しかったのか。そして、どちらかが正しいとすれば、もう一方は「間違った判断」なのか。おそらく、一瞬動きの止まった医局長の頭にはそういった思いが渦巻いていたのだろう。
また、何が正しく何が間違っているのかわからないそんな状況と共に「手元にある人・物・技術で出せる100 % を、95 % でも 105 % でもなく 100 % を見極める」という極限状態でもある。存在しない人や物を計算に入れる事なく、合計が普段の 80 % というなら、その 80 % という「現状の 100 %」をいかに出し続けるかを迫られる状態。
そして、その 100 % とは能力の最大値と共に限界値でもある。助けるのに 110 % の力が必要な患者を前に、幻の 10 % を期待して治療を続けるのではなく、確実に存在している 100 % の力をできるだけ多くの人に提供し続ける事こそが自分と救命救急センターの使命だと医局長は知っているのである。
あのやりとりとその後の小島医師のフォローは、誰もが迷い混乱し、そんな中で極限の判断を迫られ、なおかつ正しい・間違いという2つで単純に区切ることができない現場の状況を上手く表現していたと思う。
また、こういった緊張感溢れる流れの合間に、二話に渡って昏睡を続けたヤジさんが目を覚まし、命の恩人であるキタさんに向かって「誰だおまえ」と言って周囲を笑わせる*1シーンや、早急に治療が必要なものの手段が無くオロオロと狼狽する*2小島医師の前に進藤医師がヒーローのごとく舞い降りるシーンを入れる緩急のつけかたも良かった。(*1...キタさんとヤジさんは酒場で意気投合しただけの二人で、お互いを良く知らなかった。地震前にヤジさんが歩道橋から転落して怪我をし、キタさんが病院に運んで来た。 *2...進藤医師の登場をよりドラマチックに見せる為とはいえ、大ベテランである小島医師がオロオロしすぎって感もある)
唯一残念だったのが、京野ことみ演じる元看護師らしき保険医が、混乱する病院を呆然と歩き回る一連のシーンが浮いていた事。雰囲気からして過去に看護師としてトラウマになるような出来事でもあったんだろうな、と想像することは容易だが、これまで性格や素性がさして語られていない人間がどうこうする様子を描かれても、彼女に何があるんだろうと興味を引かれるというより、単にネタ振りを見せられている印象が強かった。次回予告によると来週それが語られるようだが、核心は別にしてこれまでにもう少し描いておくべきだっただろう。それともオレが忘れてるだけでそういった描写がこれまでにあった?
第四話
疲労しきった東都中央病院救命救急センター描いたエピソード。悪辣な環境と連続勤務により医局長をはじめ全員の精神が摩耗していく様子と、第一話で強引に一時帰宅したスタッフとの軋轢が細かく描写されており、シンドイが見応えがあった。重症患者の処置中に緊張感がピークに達し、そこで進藤医師の一喝によりスタッフが冷静さを取り戻すというシーンがあるのだが、それだけで円満解決することなく火はくすぶり続け、そこに小島医師の抱えるトラブルを重ねて来るあたりが巧い。「婚約者が重症らしく、さらに居場所も分からないのに小島は頑張ってる」という進藤医師の物言いにその瞬間は違和感を覚えたのだが、その後小島医師に「悪かったな。お前の事持ちだしたりして」というフォローを入れているシーンがあり納得。
確かに、あの場で抽象的な理想論を述べても説得力があるとは思えず、何か身近で象徴的な例が必要だろう。これまでのスタンスと前半のセリフから考えると、おそらく進藤医師は小島医師の行動が医師として凄いとは思っているものの、こうでなくてはいけない、とまでは考えていないだろう。しかし、今はみんなが一つになる事こそが最重要であると、やや自分の気持ちとは違う主張をし、さらに不本意ながらも小島医師の件を持ち出した。フォローシーンを含めた全てで進藤医師の魅力全開、「おまえカッコ良すぎ」と言いたくなってくる程だ。
弟は医局長の魅力に気づいたようだが、当の熱血医師は未だ知らず。これは後に医局長のさらなる見せ場があるのか、それとも弟くんが気づいただけでいいでしょ、という事なのか。こういった立場の人は役割が地味であったり成果が分かりにくいため評価が低い事が多いので、進藤医師並みの見せ場を用意してあげて欲しい。
第五話
地震発生から6日目、混乱は一段落し様々な人間模様が交錯する。災害前から衝突のあった親子関係を2つ平行して描く構成が秀逸。父親が急患として運ばれて来てもなお素直になれない青年はしかし、遠路福岡から心配してやってきた父親を淡々と拒絶する女性に「もし、オレの親父が地震で死んだら、オレは泣くと思う」と言う。様々な伏線を経て描かれたこのシーンは親子の関係をよく表していた。
血は水よりも濃いとはよく言ったもので、親子関係というのは恋人や友人といった他人同士とは違った重さを持つ場合が多い。意見や価値観の違いで衝突しても、血という断ち切る事のできないつながりによって常に相手を意識させられ、次第に感情が凝り固まっていく。そしてそれは感情というよりも、相手に対するあたりまえの態度という「形式」として自らに定着し、どんどん後戻りできない状況に陥る。
しかし、自分にとって譲れないものと思っていたそれらは、外から眺めた途端に単なる意地、頑な思い込みでしかないと気づく。あの時青年は、淡々と父親を拒絶する女性に自分の姿を見たのだろう。そして女性は、同じ境遇にある青年がただ素直に発した気持ちに、今の自分の態度が果たして本当の感情なのかと迷ったのだろう。
夫婦喧嘩を指して「犬も食わない」という表現があるが、親子喧嘩はその比ではない。そんなに簡単に解決するものではないし、またそんな風に描かれては興ざめも良いところである。しかし今回の場合、青年と女性はお互いの姿に他でもない自分を見つけ、それが冷静に自分と父親の関係を見直すきっかけとなった。この構成が説得力を生み、全体のリアリティを増していた。
娘の所在を聞いて回った人に結果を尋ねられ、娘に拒絶された事を思い出し遠慮がちに「無事でした」とだけ答える父親だが、盛大に喜ぶ周囲の様子を見て「拒絶されようとも、自分にとって "娘" はやはり生きていて嬉しいと叫びたい相手なのだ、叫んでも良い相手なのだ」と大泣きする様子はやはり親子関係をうまく表していた。また、炊き出しに奮闘する父親と、災害伝言ダイヤルに吹き込まれた父親の様々なメッセージを聞く娘の様子を交互に描くシーンは素晴らしく、特に建物の外に父親の姿を見つけ泣きながら受話器に向かって感情を吐露する娘と、その言葉とは当然無関係に、しかし満面の笑顔を娘に向ける父親をクロスさせる演出が巧い。
もっとも、このエピソードを災害時の救急医療がテーマの今シリーズに入れなくても、という気がしなくもない。入れた事が悪いというよりも、このような非常時ではなく日常を舞台に描いた方がより見応えのある話に仕上がりそうな気がするのだ。
まあ、混乱する医療現場という「状況」を描いてきたこれまでのような展開ばかりよりは、ひとつの物語にポイントを絞り、分かりやすくのめり込むことができるこういったエピソードもあったほうが良い事は間違いない。
第六話
小島医師の婚約者亡くなる・ボランティアの衝突・政治家寺泉改心す、といった回。婚約者が亡くなった苦しさを体を動かす事で誤摩化そうとし、それでもなお普段通りではいられない小島医師の様子は比較的うまく描けていた。回想やモノローグといった手っ取り早い心理描写に逃げず、じっくり時間をかけて描いたあたりが特に良かった。先週分の感想に書いたように「このエピソードを災害時の救急医療がテーマの今シリーズに入れなくても」という気がしなくもないが、来週以降も続くようなので結論を出すのは早いだろう。
それに対してボランティアの衝突問題は描写が不足している印象。確かに今回の内容で事件の概要そのものは理解できるのだが、それ以前に弟クンがボランティアでどのような働きぶりだったかという下地が不足している。実際に水を運んだりといった作業のシーンはあったが、どういうスタンスでボランティアを続けていて、リーダーという立場で回りの人間とどう接しているのかという部分がほとんど描かれていないのだ。ボランティアリーダーとして、何を考え、何を行い、何に怒り、何に笑うかという「彼」の基準が分からない事には、なんとなくの雰囲気から想像するしかなく、話が極端に薄っぺらになってしまう。つまり、現状では何かを描いたとしても、それは彼の話というよりも「災害ボランティアにはこんな苦労話があります」という誰が主役でも構わない一般論になってしまうのだ。(もちろん、あくまでシチュエーション主体で一般論として物語を語る手法もあるが、他を見ている限りこの作品がそれを狙っているとは思いにくい)こちらも来週続きが描かれるようなので今の段階でああだこうだというのは間違いかもしれないが、怒濤のフォローが入らない限り印象はあまり変わらない気がする。
そして政治家寺泉改心の巻、に関しては仲村トオルの演技がトホホだという理由を筆頭に、なんだかなーという出来だった。女性キャスターの思わせぶりな表情であの結末という部分も勘弁して欲しいが、改心のきっかけが小島医師がらみというのはお手軽すぎる。「パフォーマンスに走る自分に対して彼女は純粋だ」という事なのだろうが、ボランティアリーダーの弟クンと違い、これまで何かと描かれる事が多かった彼なら、もう少し違ったきっかけを用意できたのではないだろうか。
ボランティア問題に政治家のパフォーマンスとネタ的には興味深いものが描かれていたが、その出来に関しては疑問が残る回だった。特に政治家寺泉に関しては第二回から着々と布石が打たれていたので、どう描いていくのか楽しみにしていたのだが、これはあんまりだ。
一方、これは言い方を変えれば巧い構成とも言えるのだが、進藤医師が全てを経験済みのスーパーマンであるため、最新の医療器具が無い事を受け入れなくてはいけない、愛しい人が亡くなった時に俺も何もできなかった、といった言葉をぽつりとつぶやくだけで劇中の人物、視聴者共に納得できてしまうという状況はやや卑怯な気もする。って、まあ主人公って多かれ少なかれこんなもんか。
第七話
「自分を説得する為に発せられた言葉ではないからこそ響く」 日比谷医師の心を動かしたこの演出が今回の見所だった。さらに電話越しの会話という状況にして「説得用の言葉」ではなく、進藤医師の体験談として聞かせた事も巧い。日比谷医師のように絶対の自信と確固たるポリシーを持っている人物や、聞く耳を全く持たない程に反発している人間に心変わりさせようとする場合、真正面から説得するよりもこういったパターンの方が成功しやすく、フィクションとして見る分にも自然である。
ボランティアネタ。先週の衝突をそのまま引きずる展開ではなかったので、弟くんの描写が足りなかった事が悪影響にはなっていないのだが、これじゃ弟くん見せ場ゼロ。
改心したかのように見えた寺泉の政治家ネタはもう少し引っ張るらしいが、制作者は一体この男をどんな風に描きたいのだろう。「今、東京にボランティアが来なくなるような発言は避けるべき」という物言いは、確かに理想論から外れてはいるが、ある意味事実でもある。進藤医師には「理想は別にして現実は」と宣言しておいて、いざ記者会見で記者に詰め寄られたらカッコ良い事言うってのは、日和見がちでいかにも胡散臭い。まあ、どんな風に描きたいのだろう、というかそのまま「日和見がちで胡散臭い政治家」に描きたいのかもしれない。
それにしても、小島先生戻ってくるのはえーな。立ち直りが早いとかではなく「東京に戻ります」といったカットの2分30秒後にはもう登場するという「放映時間的」な話。番組の冒頭で運び込まれた患者が退院するシーンを挟んで時間経過を表しているのだろうが、それを強調した演出や「○日後」といったテロップが無いので面食らってしまった。
これまでも出番は少ないながらムードメーカーとして要所要所でおいしい役を演じていた大泉洋だが、今週はカッコ良かった。北海道民からは「" 水曜どうでしょう " しか知らないくせに」と言われそうだが、あの番組で粗大ゴミを集めて家をつくったり、サイコロを振って深夜バスだの乗車率100% 越えの列車のデッキで悪態をついたりする彼を見ているので、親戚の兄ちゃんがブラウン管の向こうで頑張っているような勝手な親近感を覚えてしまうのだ。(そう思っている人間は全国に7万人くらいいそう)
第八話
地震発生から25日が経ち、無自覚に少しずつ気持ちが麻痺していた病院スタッフと、我らが進藤医師が衝突するエピソード。油断が招いた緊急事態をきっかけにスタッフが自分を見つめ直すという展開は良いが、そこに進藤医師の奇跡的な手術を挟んでしまったのが惜しい。
進藤医師は高い技術力による医療行為をスタッフに求めた訳ではなく、知らず知らずのうちに心が傾き折れそうになっている事に気づいて欲しかったのだ。フィクションとしてそれぞれが自分を見つめ直す様子を描くなら、そのきっかけは技術ではなく心に触れた瞬間にすべきなのである。確かにあの患者を救った力の源は進藤医師の熱意だが、この描き方では卓越した医療技術の方に注目がいってしまう。つまり、進藤医師のあきらめない熱意が患者を救ったというより、素晴らしい技術が患者を救ったという印象が残ってしまうのだ。もっと言えば進藤医師の技術力があって始めてこの患者が救えたという話にもなってしまう。
進藤医師の圧倒的な技術力を見せれば見せる程、諦めない・甘えないという心の問題よりも経験や技術力といった部分に重点があるように映ってしまう。冒頭の日比谷医師が諦めた患者を進藤医師が救ったシーンでも、見方によっては「日比谷医師よりも進藤医師の方が優れた技術を持っていたので救う事ができた」となってしまう。
手術シーン途中、日比谷医師がサポートに入ったところでテーマソングが BGM として流れるのは「今、自分たちができる事に全力で立ち向かおう、とスタッフが一つになった」と言いたいのかもしれないが、あの状態ならどうやったって手伝うだろう。人の気持ちをより克明に描くなら緊急事態ではなくなるべく平常時にした方が効果的である。(逆境の時の方が人の心は良くわかる、という意味での緊急事態はまた別)
まあ、上に書いたどれもこれも、50分ちょいのそれもエンターテインメントという枠の中でこのテーマを描こうとするなら、放送された内容でもアリなのかもしれない。数話前で描かれた親子問題云々よりもこの「経験差、温度差による現場の軋轢」をじっくり見せて欲しいところだが、話が地味になるうえ見ていて辛くなる事は目に見えているので、この程度の描写で我慢するしかないのだろう。
第九話
「消防ポンプ隊は消火活動に全力を注ぐ為に、けが人の搬送などは行わない」これは強引に言うなら、第二話で語られたトリアージと同じ考え方で、行動を全て消火に向けるという事である。
テーマは興味深かったが、やはり先週と同じく「エンターテインメントという枠の中で描こうとするなら、この程度の描写で我慢するしかない」といったところ。先週のように途中の展開でテーマがぼやける事は無かったが、全体的にクサさ炸裂で、第二話のようなやりきれなさや迫力が画面に描かれる事は無かった。
過度な期待による錯覚かもしれないが、なんだか回を追う毎にテーマを克明に描き出す事よりも、感動させるシーンやら準備に時間が割かれるようになって来ている印象がある。
第十話
震災発生後42日が経過。末期がんを患うディスカウントショップ社長と、熱血研修医を軸に「今、自分に出来る事」というテーマを描く.....という事なのだが。
病床に伏せる父親と、「こんな時だからこそウチが生活用品をいつもの値段で提供すべき」という意思を受け取って商品の確保に帆走する息子。毎日報告に訪れる二人のそばで朗読する絵本がよりにもよって「走れメロス」ってのは趣味が悪い。
お互いの状況を知る由もなく、全く別の場所で行われている2つの出来事をオーバーラップさせて描くならまだしも、この演出はあまりにイカニモで興ざめしてしまう。
その他にも「これ以上子供たちに人が死ぬ瞬間を見せたくない、いざとなったら子供達を抱えて部屋を出ます」と言っていた寺泉が、どういう考えで行動を起こさなかったのかもいまいち描けていないなど、総じて上辺の雰囲気だけしかないエピソードという印象だった。
溢れ出る感性で作品を作るという芸術家肌の人間が、独力に近い状態で作品を作り上げる以外は、物語にはたいてい作り手の意図・作戦・狙い・たくらみ・計算といったものが埋め込まれている。物語に引き込むためにはいかにそれらを感じさせないようにするかが重要であり、語られる内容がシリアスになればなるほど隠す必要がある。
「救命病棟24時 第三シリーズ」という作品全体として、見終わった時に清々しい印象を与えようとすれば、終盤を気持ちの良いエピソードで固めるのは有効だと思う。しかし第八話以降、制作者の「ほら、感動モンでしょ」という笑い顔が透けて見えるようで、シリーズ当初の重厚さがほとんど無くなってしまったように感じる。
第十一話(最終話)
最終回のテーマは生きる力。火傷を負った少年の、郵便局員の、東都中央病院高度救命救急センターの、震災に倒れた東京の生きる力を描く。
「がんばったって元になんて戻らない、いつまでこんな事が続くんだ」仙台から復興支援で東京に来て、不幸にも事故で亡くなってしまった土木作業員の同僚の叫びがスタッフの気持ちを代弁するという構図。本人ではなく、似た状況の第三者を描く事によって、当事者の気持ちを表す手法はセオリーだが、ちょっとそのまんますぎかなぁ、という印象。
一方、火傷を負った少年と震災を経て立ち上がった神戸の生命力を、自分たちの状況に投影して奮起するという流れは自然だった。第八話の感想で「(疲弊して折れそうになる心を見つめ直す)きっかけは技術ではなく心に触れた瞬間にすべき」と書いたが、ちょうどそんな流れになっていたと思う。
画面の中に描かれている舞台はあくまで救命救急センターなのだが、そこで語られている内容は医療現場というくくりではなく、諦めずに前を見ようとする人間の姿だったと思う。病院の外の復興の様子を描けばそれらを語るのはより簡単だが、安易にそういった場面に逃げなかったのは良かった。
こういった大きな出来事を乗り越えるタイプの物語では、ムリヤリ全ての人物や場面をフォローしようとして逆にシラけてしまうエピローグを見かけるが、この作品では救命救急センターに絞られ、尺的にもちょうどよい長さですっきりとした印象で見終えることができた。
日比谷先生や医局長の見せ場が少なく、活躍するのはもっぱら進藤医師というのが多少残念だったが、興味深いテーマを面白く描いていた作品だった。
アナザーストーリー
震災から半年、救命センターにスポットをあてた検証番組の主役に、大泉洋扮する看護士が抜擢されたという設定の総集編+外伝的エピソード。
総集編は看護士の視点から本編を再構築するようなものを期待したのだが、残念ながらただ単に本編の VTR をつないだだけだった。しかしまあ、こうやってダイジェストで見ると進藤医師はまさに八面六臂の大活躍で、絵に描いたようなヒーローっぷり。はて、このドラマのタイトルって「スーパードクター S」だっけ?
外伝エピソードは患者に感謝されることが少ない救命という現場に疲れた MEGUMI の苦悩話。最終話の感想と重なるが、似たような境遇の第三者を描くにしたってあまりにもそのまんますぎ。MEGUMI の懸命な治療を覚えていた患者もしっかりいましたとさ、というベッタベタな締め方も含めてあまりにもお手軽でチープ。つか、MEGUMI 扮する看護士のキャリアがどの程度かは知らんが、これまでただの一度も患者に感謝の言葉をかけられた事が無いってのか?
少しの手間でもう一度視聴率を稼ぐことができるといったリサイクルの面から考えれば優秀なのかもしれないが、ある物語を振り返る一本の独立したコンテンツと考えると非常にレベルの低い作り。
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酔芙蓉に恋をして:泣きたい夜に…(ル) (2005年12月 8日 23:54)
?
DREAMS COME TRUE, 吉田美和, 中村正人
何度でも
?
「救命病棟24時」の主題歌だった。
シリーズものの作品である事も、この時知ったぐらい。
それまで病院モノの作品には全く興味を示さなかった。
なぜなら、私は大の病院嫌いだからだ。
小さな頃からずっ
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