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仮面ライダー響鬼 四十一之巻 〜 四十八之巻(最終回)

2006年1月25日 16:34 | コメント (0) | トラックバック (0)

基本情報

東映公式ページ  テレビ朝日系列:日曜8時 仮面ライダークウガから始まったリアル路線の平成仮面ライダーシリーズ第6作。鬼に変身する能力を持つ青年ヒビキが、魔化魍(まかもう)と呼ばれる魔物から人々を守る活躍を描く。
 これまでのシリーズでは主役をはじめ若い新人俳優でキャストを固めるのが半ば恒例となっていたが、今回の主役は既に役者としてキャリアのある細川茂樹が演じている。

 二十九之巻から脚本家を含めた大幅なスタッフ変更が行われ、質の悪い子供騙し作品となった挙げ句、想像を絶する最終回を描いてみせた。

四十一之巻 〜 四十八之巻(最終回) 概観

こういう話を見せたいからこんな事件を、こんなやりとりを、こんな人物を。

 どんなフィクションであっても作り物であるからには制作者の意図によってお話は作られるのだが、そういった思惑をいかに感じさないかが重要。「あれがああなって、だから次にこれがこうなって」という話の組み立て自体は比較的ツボがおさえられていたと思うが、それぞれの「ああなって・こうなって」があまりにも足早で描かれてしまった為に興ざめしてしまった。
 三十之巻の裏方交代直後からその片鱗は見え隠れしていたのだが、四十之巻前後からその傾向は加速度的に進んでいった。

 そしてその真骨頂が最終回。個別の感想ではクソミソに書いたが、実際のところ上に書いたように「あれがああなったからこうなって」という話の組み立て自体は間違っていないと思う。各シーンを箇条書きにして矢印でつなげばオーソドックスな物語としての流れはおさえているだろう。しかし、それぞれの場面がシチュエーションからして無理やりな為に、唖然とするしか無かった。

 なんというか、もの凄い早口でレシピをまくしたてながら目にも止まらない速さで調理を行い、途中経過の映像をときどき挟みつつ、こっちの理解はおかまいなしに「以上のような手順で出来上がりです」と完成品を見せて締める料理番組のよう。
 出来上がったのはどこかで見たようなオーソドックスなメニューなので、なんとなく味が想像できるというのがなんとも皮肉。

 最終回を含めたラスト3回ほどでいきなり「ここから先は君が作ってね、で、この紙に書いてある展開は必ず入れるように」と言われたのならこのラストも止む無しといった感じ。そういった裏方の事情は想像するしかなく、どのような縛りがあったのかは分からないが、どう描くか以前に、それを話に盛り込むかどうかの絞り込みが必要だったと思う。

四十一之巻 目醒める師弟

イブキ、うろたえて急いで森から逃げ出さなくてもいいけど、せめて鬼でないかすみを庇いながら周囲を警戒するくらいの事はしようぜ。

 全てが相変わらずの急展開で、箇条書きにされたシナリオを読んで要点をつまんでいく感じ。「鬼にならずとも生身のまま敵に立ち向かっていく彼らは真剣だ」ってのも違うような気がする。

 あきらが鬼になるのを諦めたのは、力を追い求めた朱鬼について行ってしまった自分は鬼になるべきでないと思ったって事だろうか。そのあたりの葛藤や、自分なりの結論を出すに至った心の動きをじっくり見せてほしかった。これまで丁寧に描いてきたあきらだけに、それらの描写がほとんど無かったのが残念。

四十二之巻 猛る妖魔

さほど変化を見せない明日夢と桐矢。「また明日夢から少年に戻っちゃった」とあきらに話した前回とさほど変わらない気がするのだが、ヒビキはとりあえず明日夢と呼んだまま。

 裏方交代までの間、アバンタイトルで明日夢がナレーションしていた「鍛えて鬼になったヒビキさん」の「鍛えて」ってのは肉体的・技術的鍛錬とは別次元のことで、明日夢自身も劇中で人としての成長といった意味合いで使っていたと思うのだが、今ではすっかりそれが無かった事のように。

 不正解の役をとことんやらされる桐矢がチト哀れ。斜に構えてるけど芯の通った憎めないヤツと描く事もできると思うが、現状だと単にビッグマウスの勘違いヤロウ。

四十三之巻 変われぬ身

再起不能の怪我を負うトドロキ。う〜ん、いい場面だけに急ぎ過ぎたのがやはり惜しい。これまでトドロキの鬼に対する真剣さは数えきれないほど描かれており、「(鬼になれないなら)オレ、生きてても仕方ないと思うんスよ。いっそのことザンキさんの手で」という結論に達する事自体はアリだと思うのだが、そこまでの絶望に至る部分をぴょーんと飛び越えてしまっている印象。
 それができないなら死んでもいいと思うほどのものを、いくら尊敬する師匠に「もう無理だ」と言われたとしても、はいそうですかと納得できるだろうか。

「なんかオレ、体に力が入んないんスよ」「おまえはもう、鬼にはなれない」「何言ってんスか」「無理なんだよ、鬼になるのは」【起きようとしてベッドから倒れるトドロキ】「(強がって)大丈夫っスよ、オレ全然大丈夫っスよ」

 いくらなんでもこれだけで死を考えるほどに絶望するってのは無理がある。

 人間とは良くも悪くも往生際の悪い生き物だ。ベッドから落ちたトドロキが「大丈夫っスよ」と強がりを言ったように、全身を動かせないほど力が出なくても「怪我したばかりだから治れば」と思うだろう。外傷が治って体が思うように動かなくても「リハビリすれば」と思うだろう。鬼に変身できないと言われても試してみるだろう。実際に試して変身できなくても「調子が戻れば」と思うだろう。
 顔や体の包帯が取れ、外傷が治ったのに体が元通り動かない。リハビリをしようとしても全くうまくいかない。何度変身しようとしても、かつてのあの姿になれない。藁にもすがる思いの希望全てを否定されてはじめて、「生きてても仕方ないと思う」とまでの絶望を受け入れる、受け入れざるを得ないのだ。
 ザンキが引退を決意する際は本人の葛藤や周りの反応も含め丁寧に描かれていた(別にザンキは生きていても仕方がないといった絶望はしていないが)のだが、今回はあまりにも駆け足すぎた。

 どうしても時間を短縮したいなら、「鬼への変身以前に下半身不随だ」といった麻痺状態を持ってくると否応無しに現実を理解できるのだが、復活するのは目に見えているのでさすがにそうもいかないのだろう。(ヤな観客)

 運動が苦手とかいう以前に、絵に描いたようなダメダメっぷりを見せる桐矢。意味不明な修行に嫌気がさすならまだしも、基礎体力をつけるトレーニングも満足にこなせないのに次に行きたいと叫びまくるってのはなぁ。

四十四之巻 秘める禁断

変身できなくても鬼であれとリハビリに奮闘するトドロキ。四十三之巻の感想では「絶望までの描写が薄い」と書いたが、確かに時間的都合を考えるとあの辺はすっ飛ばすしかいないのだろう。時間が許すなら、今週の「リハビリの奮闘と挫折」を描いてから先週の展開を見せて欲しかったところ。(展開としては今回のようなリハビリの苦しみを描いてから先週の展開、そしてリハビリ再開になるので、まるまる1話分余計に必要になる)

 我らがザンキさん殉職。タイトルが「秘める禁断」だけに、なんらかの秘術で生きているように見せかけているって事か。(って、そう書いてたら次回予告でそう言ってるし)

四十五之巻 散華する斬鬼

鬼になる理由を語り合う二人。明日夢の「人の為に何かをしたいんだよ」という漠然な目標はいいとして、そう思っているのにボランティアに全くと言っていいほど興味を示さないってのはどうよ。
 「ホントは復讐しようとしたけど、魔化魍が出てきたから護ったよ」って桐矢もすげぇな。それを言っちゃうのは正直っちゃぁ正直だけどそれってアリなのか?

 トドロキを心配するあまり死してなお呪術の力で現世に留まるザンキ。リハビリで奮闘し「これが今のオレにできる精一杯の事っス」と心の中でつぶやくトドロキ。
 お約束のごとく魔化魍が現れ「もうザンキさんは闘わなくていいんス」「だったらお前の力で止めてみろ」というやりとりの後、トドロキはあっさり復活。
 う〜ん、本当に闘いの場に赴いて止めちゃうってのは、派手ではあるけどなんだかなぁ。トドロキが心の中でつぶやいた「今の精一杯」を見せて安心させるって方が良かったと思う。ザンキにとってのトドロキの独り立ちってのは、実際に戦えるかどうかではなく諦めず前を向く姿勢だったのでは。
 まあ、それだともう時間が足りないか。師弟そろってのラストバトル、しかも二人のセッションつきとくればこれはこれでアリだろうか。

 なんだか物語が佳境に入ってからこっち、見ていて思うのは「この分量でそれを描くなら、その見せ方も止む無しか」ということばかり。確かに詰め込み方は上手いのだが、そもそもの「詰め込むもの」をもっと絞ってほしい。

四十六之巻 極める鬼道

修行に対する真摯な姿勢に成長が見られものの、相変わらず分かりやすいズレっぷりを演じさせられている桐矢がちと不憫。まあ、これまでの暴走も含めたこの猪突猛進ぶりが彼の個性って事なんだろう。

 ラスト、香須実を抱きしめ「僕はまだ死にたくない」と言うイブキとそれを聞いているヒビキって図は「死を恐れるために儀式に躊躇が生まれている」という事なんだろうが、このあたりは微妙だなぁ。イブキのやってる儀式は、成功すれば命を落とすだとか自分の命を犠牲に行うってものではなく、単純に儀式の最中に敵が襲ってくるから危ないってだけ。今後わんさかと敵が襲ってくるのかもしれないが、少なくとも今回描かれたバトルなんて敵は1体だし、ミもフタもなく言ってしまえば「そっちは響鬼さんに任せて僕は儀式を」といったレベルじゃなかったか?

 「ほらぁ、" 命は惜しくありません " って言って命がけの作戦に挑んだヤツが " 本当はまだ死にたくない " って言っちゃうのって、定番じゃん?」てな作為の匂いがぷんぷん。

 人の為に何かをしたいという漠然とした自分の目標を見つめ直す明日夢。ここはぜひ鬼にならないという選択でエンディングを向かえてほしいところ。

四十七之巻 語る背中

鬼の修行よりもパネルシアターを選んだ明日夢。きちんと描けば重要な意味を持つシーンであり、明日夢と桐矢それぞれの思いがぶつかるべき事柄だとは思うが、これでは薄ら笑いしか出てこない。直接対峙がトホホなのは言うに及ばず、そこに持っていく流れも非常にお粗末。

 イブキとトドロキを遠ざけて一人儀式の場所に向かうヒビキ。んだからよう、儀式の縛りは「1人が叩き通す」事だけで、叩き手を護る仲間がいちゃいけない訳じゃないだろう?
 叩き手のみしかその場所に入れないってのならヒビキ一人が儀式に向かうのも分かるが、敵がワラワラ寄ってくる場所に護衛をつけずに向かうのは単なる自己満足の世界。イブキとトドロキが、ヒビキの護衛どころか、その場にいたら自らの命も危険にさらすような駆け出しのペーペーというなら話は違ってくるが、敵を蹴散らしながら太鼓を叩くのが想像できているなら、仲間のサポートがあった方が成功率が上がるのは言うまでもないこと。
 実際、イブキ・トドロキどころか、走り去るバイクをよく追いかけられたねキミって感じの桐矢に、落としたバチを拾ってもらっている始末。

 そもそも敵地に単身乗り込むという作戦は、自分一人の手で十分という確固たる自信と余裕があって初めて成り立つ戦術である。「自らを犠牲に危険を顧みず」といったレベルの場合、失敗した際は戦力ダウンしたメンバーで再挑戦する事になり、結果的に仲間を危険にさらす行為に他ならないのだ。

 いやなんとも、ありがちエピソードのスイッチをポチポチと押すだけの話。これまではなんとかスイッチを押した際に箇条書きとはいえ説明が出てきたのだが、とうとうそのあたりも端折ってしまった。まさか明日夢のパネルシアターを見た少女が死んじゃうなんていう展開は無いよな。(あったら笑う)

四十八之巻(最終回) 明日なる夢

あの場面はああだこの場面はこうだと、個別に感想を述べる意味(というか価値)は無いだろう。明日夢やヒビキにとっては現実である「仮面ライダー響鬼という物語世界」の存在感や現実感はまるで無く、制作者の意図によってひたすら寸劇を演じさせられた上に、そもそもの意図があまりに身勝手という始末。
 どの場面を切り取っても「ここはこう解釈してください」という注意書きが透けて見える、「物語臭を感じさせず、仮面ライダー響鬼という架空の世界の日常を切り取ったかのような前半」とは対極にある展開だった。

 これなら 8時22分からのラスト、夕闇の海岸で明日夢とヒビキが語るシーンを延々と25分間やった方が良かっただろう。これまでの四十七話とそれからの1年の回想を交えつつ、ひたすらにそれぞれの想いを語る25分。
 この最終回で描きたかったものは「僕は鬼にはなりません。でも分かったんです、もっとたくさんの人を助けていきたいって」「鍛えたな、明日夢。出会った頃からずっと明日夢は自慢の弟子だったよ」に集約されるのだから、苦笑を浮かべる事さえ難しい寸劇を見せられるよりは遥かにマシだ。もっとも、明日夢がその結論に至るまでの描写があまりに希薄なので、どう描こうとも無理があるのだが。

 前半の仮面ライダー響鬼では「敵」や「変身して鬼になる」といった事はあくまで枝葉だった。鍛えるというフレーズは、鬼になるための修行といった直接的なものとは別次元の自己鍛錬として扱われ、明日夢は常にそれで悩み、ヒビキはそんな明日夢に背中を見せ続けていた。
 しかし裏方交代後のテコ入れによって、枝葉だったはずの敵と変身が前面に引きずり出され、本来描くはずだったもの.....明日夢がヒビキの背中を見ながら自分なりの答えを探して悩み、そして鍛える様子.....は後回しにされてしまった。

 そんな状態で最後だけ敵と鬼を忘れた、ヒビキと明日夢という二人の物語にしようとしても上手く行くはずがない。「最後だけでも二人を」というのは「前半(もしくは本来の)仮面ライダー響鬼」への敬意と言えるかもしれないが、それならもう少し前から準備をすべきだった。

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