仮面ライダー響鬼 三十一之巻 〜 四十之巻
2005年12月 2日 01:18 | コメント (0) | トラックバック (1)
基本情報
東映公式ページ
テレビ朝日系列:日曜8時 仮面ライダークウガから始まったリアル路線の平成仮面ライダーシリーズ第6作。鬼に変身する能力を持つ青年ヒビキが、魔化魍(まかもう)と呼ばれる魔物から人々を守る活躍を描く。
これまでのシリーズでは主役をはじめ若い新人俳優でキャストを固めるのが半ば恒例となっていたが、今回の主役は既に役者としてキャリアのある細川茂樹が演じている。
二十九之巻から脚本家を含めた大幅なスタッフ変更が行われ、以前の作品とは別物になった。オレにとって「仮面ライダー響鬼」とは一之巻から二十九之巻を指すもので、それ以降は別の作品と捉えている。ただし、それは三十之巻以降を拒絶している訳では無く、そう区切っておかないとこれまでの流れを踏まえた上で感想を書く事が困難だからである。
三十一之巻 〜 四十之巻 概観
派手でキャッチーで、展開も早く語り口は王道にして明快。子供むけヒーローものとしてごくオーソドックスな十話だった。
しかし、劇中では現実であるはずの物語の中に「作為」の姿が見え隠れし、その割合は回を追う毎に増していった。特に三十七之巻以降は「はいはいみなまで言うな」といった内容で、いいトシした人間が見るには辛いものがあった。(ただし、三十六之巻は素晴らしい内容だった)
三十一之巻 超える父
テコ入れの方向性はやはり、いろいろな意味で分かりやすさを前面に押し出す路線のようだ。物語が向かう方向を登場人物に解説させる・各登場人物の行動を物語を中心に描く・明日夢の成長を目に見える形で描く・注目すべき人物が分かりやすいように行動させ、思わせぶりなセリフを言わせる。
いきなり出て来た父親というキーワードや、別人のようなヒビキと明日夢、そしてその関係と距離感。はい次はい次とページを飛ばすように進むストーリーに、そもそもの雰囲気の違い。それら強烈に感じる違和感はあるが、これはこれでオーソドックスな物語としてはアリだろうと思う。
ただやはり、オレが惹かれた仮面ライダー響鬼という作品の姿はそこには無い。ただ、三十之巻の感想に書いたように、これまでの路線に惚れ込んでいた人間が強烈に違和感を覚える物語になっていないとテコ入れした意味はなく、その上で「これはこれでアリ」になっている現状はとりあえず成功しているのだろう。
死んだ子の年を数えても仕方が無い。次回からは(それでも時々書いてしまうだろうが)仮面ライダー響鬼は「分かりやすい物語」なヒーロー物です、という事で感想を書こう。
三十二之巻 弾ける歌
エンディングテーマを歌っていた布施明が、分かりやすいマッドサイエンティストとなって登場。いやそれにしてもベタだな。それは「人物が」という以上に見せ方が。
名前を聞いただけでイヤな過去を思い出してゲンナリする一同。不意打ちでヒビキ・トドロキの実力をテストし、未熟者と一喝する様子に始まり、他の鬼やおやっさんを切って捨てる自信満々な態度、歓迎会で空気も読もうともせず歌い続けるなど、このタイプの変人を描く場合の定番ともいうべき展開のオンパレード。
あたらしいぶきはとってもつよそうだ。でも、それをつかいこなせるのはひびきだけ。そのぶきをつかってひびきはちょうぱわーあっぷだ! という、これまた子供向けヒーロー番組の教科書通りの流れ。
ただ、普通は主人公たちが瀕死の重傷を負ったり、大きなピンチに陥るといった展開の後に描かれるのだが、おそらく「裏方交代劇 + 緊急のおもちゃ的テコ入れ」でねじこまれたものなので、その辺りが非常に苦しかった。今回の前半で描かれた「あいつら(敵童子)強くなってますね」という場面が最大限の努力の跡だとは思うが、まあこの辺りは目をつぶるしかない。
その強力な武器を使いこなすには相応の鍛錬が必要というあたりは、これまで何度も出て来た「鍛える」というキーワードが大事にされているのだろう。
トドロキの別人っぷりは、あの武器は簡単に使いこなせないという事を見せるために、今回だけ特別にああなっているのだろうか。それともあのまま? 前の、多少オドオドしつつ熱意に燃えて頑張る新人といった彼が好きだったんだけどなぁ。(まあ、それを言ったらほとんどのキャラクターが別人だが)
その他、これまで「外見男の方が女声 / 外見女の方が男声」だった童子の声が普通になっていたりと、とにかく細かく、徹底的に「分かりやすく.....僅かな部分は大げさに、混乱を招く部分は普通に」という事になっているようだ。
何度か同じ事を書いている気がするが、今回登場した武器「アームドセイバー」はいいとして、それを使ってパワーアップした響鬼の姿が、本編より先におもちゃ CF で披露されるってのはなぁ。ところで、相変わらず明日夢の事を「何の取り柄も無い」と言う桐矢。あれ、前回明日夢を見直してなかったっけ。
三十三之巻 装甲う刃
一から十まで「子供向けヒーロー物」のセオリー通り。ヒビキ達をひっかき回す先輩とその先輩直々の意味不明な特訓、明日夢に半強制的な変化を促す人物と、饒舌に解説を行うヒビキといった分かりやすさはもちろん、その先輩がかつて伝説と呼ばれていたという設定や、たった1週(というか2カットほど)特訓しただけで変身不能から復帰して、さらに強力過ぎるという武器を使いこなすというお手軽な部分まで。(一応武器を奪った魔化魍が、その強力さを抑える細工を行ったという流れがあるのだが、それを知らない先輩博士が自信満々に「今のお前なら使いこなせる!」と言っている)
唄を歌うという風変わりな特訓の意味や、それによって何が鍛えられたかをすっ飛ばしてしまうあたりは、以前の響鬼ならつっこみの対象だが、ベタな子供向けヒーロー物路線を突っ走る現状の場合、「まあ、そんなもんでしょ」といったところだろう。
うーん。30話以降、なるべく気持ちを切り替えて感想を書こうとしていたのだが、なんだかどうでもよくなってきた。決して出来が悪い訳では無く、ベタな展開ながらきっちりとツボがおさえられており、「おざなりなありがち話」ではなく「安心してみられる定番」が描かれている。
ベタだからつまらないかというとそうではなく、きっちりと描かれた定番は好きなのだが、要は仮面ライダー響鬼には別の楽しさを期待していたからだ。
三十四之巻 恋する鰹
・トドロキ、お前はドラえもんか。
・明日夢、さすが昼飯にコンビニおにぎり10個買う男。
・ひとみちゃん、やっぱり「友人に頼まれた」ってオチ?
・魔化魍、街中に出過ぎじゃないか。
・ヒビキ、恋愛に疎いなんていうベタな設定も持ってるのか。
・あきらちん、ケガのなおり早いね。
なんだかイヤ〜な方向の「子供向け」要素が出て来た。11話で見るのをやめてしまったマジレンジャーと同じような匂いを感じる。
三十五之巻 惑わす天使
前回、トドロキが高級レストランで突然取り出したプレゼントの鰹に「誕生日にはヒカリモノが欲しいって言われたから」なんて理由があるのには笑った。
トドロキ・イブキの狼狽ぶりを厳しい目で見ていたが、同じように色恋ネタで一喜一憂する明日夢の姿に、「鬼としての立ち居振る舞いとプライベートは簡単に割り切れるものではない」と教えられたヒビキ。う〜ん、言いたい事は分かるんだけどちょっとお手軽気味。そもそも「仕事とプライベートは別」という考え方自体は間違っていないと思うのだが。
てっきり子供ウケの良さそうな剣タイプの武器一本で行くのかと思いきや、今回の締めは響鬼の太鼓をメインにした3重奏。とはいっても絵的にも音的にも響鬼の太鼓しか登場しないのがやや残念。なんとかがんばって「太鼓・ラッパ・ギター」のセッションを目と耳で楽しませてほしい。
三十六之巻 飢える朱鬼
明日夢とあきらに向かって「鬼になる覚悟が足りない、君たちでは鬼になるのは無理だ」と言い放つ桐矢。
その一方、かつて鬼を辞めさせられたというザンキの師匠が、着れば鬼に近い力を出す事ができるという鎧を身にまとい、強引に魔化魍とのバトルに参戦。遂にはトドロキの変身グッズを奪って変身してしまう。
これまでも明日夢の成長を強引に促してきた桐矢だが、今週はあきらも含めてひっかきまわしてきた。それを受けて、今のところ鬼になるつもりの無い明日夢は鬼であることの意味を知ろうとし、目的に向かって突き進んでいる最中のあきらは、自分の足下を見つめ直す。鬼に対する思い入れの違う2人が、それぞれの立場から疑問を投げかけることによって、これまで漠然と「正義の味方」として描かれてきた鬼を浮かび上がらせようとする展開がうまい。
さらに、ヒビキ・イブキ・ザンキの3人に別のシチュエーションでそれぞれの考える「あるべき鬼」像を語らせ、それが表現こそ違えど同じものである事を視聴者に確認させた上で、あきらの迷いと、明日夢の疑問の答えになるであろう、「あるべき鬼」から外れた先輩鬼を絡めてくる流れは秀逸。
適度なインパクトを持った展開を、ほど良いスピードで見せるバランスの良い1話だった。いかにも彼らしい、愛すべき空回りを見せるトドロキといった脇の演出も効いていて、裏方交代後の新・響鬼が、移行期間を経てようやく始動した印象。
三十七之巻 甦る雷
「悪と闘うということ」という話の方向性はごくごく定番だが、その語り口や見せ方がきっちり整理されており分かりやすい。それぞれが一人一役と言えるほどに単純化された役割を背負い、それを順番に追っていけば「語りのゴール」に辿り着くように配置されている。
「憎しみを忘れろ。憎しみを持ったまま闘ってはならない」「憎しみを忘れるな。それがおまえを強くする」という極端に相対する価値観を登場させ、後者の考え方を持つザンキの元師匠を敵童子に「見えるぞ、オマエの心の闇が。オマエは鬼なんかじゃない。むしろこちら側に属する者だ」と評させる分かりやすさ。
アキラが彼女についていってしまうのは描写不足と共に展開の急ぎ過ぎを感じたが、まさか「自分が敵に捕らえられた場合(かつてとは逆の立場)でも "私と共に敵を討て" と言い放つ師匠」という定番の展開を今週中にやってしまうとは思わなかった。
いくらなんでもひとつのエピソードに詰め込み過ぎではないだろうか。「これこれこうだから、こうなった」というそれぞれの出来事の理由は説明されていたが、逆に言えば「理由を説明しただけの話」になってしまっていた。
また、道を外れた鬼を討つという宿命を負ったイブキや、ザンキの元師匠についていったアキラなど、それについて考え、その選択をした時点で相応の意味はあるのだが、もう少しイブキとアキラが悩む様を描いても良かったような。(いやま、アキラは悩んでいたようだけど「選択したこと自体」を思い悩むよりも、彼女と過ごす中で何かを気づくような展開が見たかった)
三十八之巻 敗れる音撃
アキラとイブキの悩みは前回の話をふまえてのものだが、だからこそ前回もう少し掘り下げるべきだったと思う。
明日夢悩む、そして1話で解決するの巻。がんばろうとした矢先につきつけられる現実。そのうえ周囲の人間が自分よりも遥か前を進んでいるように感じ焦ってしまう。以前は十数話かけてじわりじわり悩んで自ら解決していたが、今回は(というか裏方交代後は)やさしいヒビキのフォローでゴールへとまっしぐら。
三十九之巻 始まる君
相変わらず展開が駆け足に次ぐ駆け足。フィクションにおいて「○○が起きました。○○で悩んでいます。○○を理解しました」と言い切ってしまえば確かにそれは事実になるのだが、それを見ている観客が納得(=実感)できるかどうかは別のはなし。
暖めに暖めてきた「少年 → 明日夢」という呼び名変化のきっかけがこれ? こりゃなんともトホホだね。
四十之巻 迫るオロチ
あきらを喫茶店に呼び出して相談する明日夢って図には若干の違和感が。こうしてしまえば明日夢の心情を描くのは楽なのだが、裏を返せば楽をするためにこの場面が作られたような気もする。
同様に、何が何でも鬼になりたいという桐矢の姿勢をもって「鬼になるとは」を描こうとする構図はいいが、桐矢自身の人物描写が不十分だっただけに、本人のやる気だの意向だのよりも物語としての作為を強く感じてしまう。
明日夢にとっての「鍛える」の中に鬼になることはさほど含まれていなかったと思うのだが、その変化を曖昧にしたまま桐矢に対抗するように、というか、売り言葉に買い言葉同然に鬼になろうとするってのはいかがなもんだろう。
「鬼になるとは、鬼にならないこと(鬼に変身する事とは別の事)」のような結論に向かうのだろうが、そこに至る道程があまりにも安っぽく見える。
コメント(0)
トラックバック(1)
トラックバックURL : http://www.studio-ponytail.com/mt/mt-tb.cgi/120
特撮ヒーロー作戦!:【仮面ライダー響鬼】響鬼に理想の最終回を! (2005年9月16日 23:11)
もうちょっと詳しくご説明しなければ、あまりに不親切と思いましたので、再び書きます。「たのみこむ」に下のテーマを発案しました。たのみこむ 「仮面ライダー響鬼に理想の最終回を!」
コメントを投稿する
コメントの投稿には JavaScript が必要です。
ブラウザの JavaScript 機能を有効にしてください。
投稿ボタンを押してもエラーになりますのでご注意ください。