僕の生きる道
2005年1月 1日 11:00 | コメント (0) | トラックバック (0)
基本情報
突然余命一年を宣告された平凡な高校教師のその後を描いたドラマ。フジテレビ系列で2004年1月〜3月に放送され、放送中・放送後に大きな話題を呼んだ。話的なつながりは無いが、後に草なぎ剛主演で「僕と彼女と彼女の生きる道」というドラマも制作された。出演は草なぎ剛、矢田亜希子、大杉漣など。
シリーズ総観
前半は出来が良く、特に第一話・二話は圧巻で主人公に襲いかかった突然の事態が、他ならぬ本人にとってどれほどの意味を持つのかという事が克明に描かれていた。その後五話くらいまでは丁寧な描写が続くものの、中盤〜後半は三文芝居に転落。悲しい物語が見たい人のための悲劇としてはそれなりの出来かもしれないが、「僕の生きる道」というタイトルと番宣のキャッチコピーを考えるとなんとも情けない内容。これなら2時間くらいの単発スペシャルドラマとして放送すれば良かった気がする。
第一話
「無難で地味で平凡でいいから、ただ平和に暮らしたい」と生きてきた主人公が余命1年を宣告される.....というその設定からしてハンソク気味なおはなし。途中から「あと1年ではなくまだ1年ある。自分にできるだけのことをやろう」という展開になるのは明らかだが、今週はそれまでの「絶望」を見せる導入段階で呆然とする主人公を延々と描く内容だった。
抜け殻となっていた主人公が、小学校の卒業文集に自分が書いた「後悔しないで生きたい」という文章を読み返して泣くシーンが良かった。やはり、これほど圧倒的な絶望に直面したとき、そこで立ち止まったりぐるぐる回っている自分を動かせるのは、多くの場合ほかならぬ自分だと思う。他の人の言葉がきっかけになるような場合も、自分の中にその言葉と似たものが眠っている事に気づくパターンがほとんどだろう。そういう意味で、ありがちながらこのシーンにはやはりググッと来てしまった。
第二話
今週は何も考えられない抜け殻の状態から一歩進み、自暴自棄となった主人公を延々描いた回。このまま3週目に突入するとちょっとしんどいんじゃないかな、と思っていたら最後にスイッチ切り替えの展開が用意されていた。なるほど、教師という役柄と1年の余命ってのは、生徒の受験までのタイムリミットと重ねる為だったのか。こういう「誰が書いても感動しないわけにはいかない」というテーマの場合、いかに誰でも書きそうなありふれたエピソードを避けつつ、それでいて展開的には王道を外さないというのが重要になってくると思う。(あくまで「感動させる」っていう側面において)この作品が、どういった風にそれを見せてくれるのか期待したい。
第三話
主人公が「精一杯できることをしよう」と動き始める回。初めて体当たりでぶつかった女生徒とのやりとりが、自分の中で誤魔化そうとしていた恋と向かい合わせるきっかけになったという流れはなかなか良い。ただ、第一話の時点でフられてるんじゃなかったっけ? 一度フられたくらいで恋する気持ち自体にウソをついちゃだめだと気づいたって事なのか?
あっさりと解決してしまった女生徒のトラブルを、単純な熱意だけで解決しても違和感の無い「単なる失恋」にしたのも良かった。ドラマのテーマによっては失恋が生死に関わるような重要な出来事だったりする場合もあるが、一般的にも、そして本ドラマの女子高生なんていう年齢なら、簡単に解決してしまうような事である。ミモフタもなく言ってしまえば、おそらく主人公が家に押し掛けなくても数日もすればケロっとして学校に来ていただろう。
しかし、逆に言えば以前は生徒に無関心だった主人公が、そんな些細なことに対しても真剣に取り組むようになったという姿勢の変化を見せるのには、うってつけの題材選びだったと思う。(別の言い方をすれば「悩みを抱えた女生徒だの解決までの道のりとかはどうでもいいから、ただただ " 姿勢の変化 " を見せたい」という今回の場合には最高の題材だった、とも言える)これがいじめだ不登校だとなれば解決までに時間がかかり、見ている方は(1・2話からスカっとするシーンが無いことを思うと特に)ストレスが貯まるし、逆にあっさり片づいてしまったら興ざめもいいとこである。
ただ、今回は単純な失恋だったからいいものの、今後はこのあたりが難しいところであり見所だと思う。悩みに限らず、他人と何かを話す時に基本的な壁になるのが温度差である。あと1年というタイムリミットを背負い、全てに対して真剣に向き合おうとしている主人公と、そういった考えに薄くさらに主人公の決意をしらない同僚、さらにはその最も対極にいるであろう高校生。この三者の関わり合いを違和感なく描くことができれば、すべてを知る視聴者は、泣かずにいられないだろう。
第四話
前回よりもさらに熱血度合いが高まり、やはり温度差問題が炸裂。途中までは周囲の「教師温度」が低いこともしょうがないといった風に受け止めていた主人公だが、遂にはやはりその想いが爆発。このあたりは、担当医の言う「病気のことを分かってくれるパートナーがいればいいのに」という主人公の置かれた状況と苦しさがきっちり描けていたと思う。
毎週ラストは主人公のモノローグで締めるようになっており、絞り出すような心の叫びがズンとくる感じだったのだが、今週は「だけど......ひとつ分かっている事がある.....みどり先生は砂肝を頼むということ」という見事な肩すかしを見せてニヤリ。
基本的には、毎週見ると決めたドラマやアニメの次回予告は見ないのだが、今週はおもわずチャンネルを変えるのを忘れて見てしまった。それによるとどうやら来週「余命1年」がバレてしまうらしい。といっても、フジテレビは「HERO」で確か夢オチを番宣に使ってたからなぁ。
第五話
授業を開始する前に「夢を追うのも大事だけど、叶わなかった時の事を考えた方がいい」と、以前に戻ったかのような消極的安全策を生徒に話す主人公。それは雑誌に載ったことにより安易にアイドルデビューを考えた一人の女生徒へのメッセージなのだが、同時に「私は誰が反対しようとも歌手になります」という反応を示す生徒も登場させ、その子に対しては「そこまであなたが思うのなら夢を追うべきです」と答えさせることで主人公の気持ちを描く構成は巧い。
ところで、ラストシーンの音楽の切り方があまりにもひどい。いきなり切ることで衝撃感を出したつもりなのだろうが、そうだとしても曲の流れている時間が短すぎるし、さらには曲の盛り上がりでもなんでもないところでぶつ切りにしているので盛り上がりのかけらも無い。
第六話
すっかり爆睡してて見られたのはラスト10分のみ。「今回はこういうこと描きたかった回だよ」ってのはなんとか分かったから良しとしよう。
第七話
相変わらず「ええ話や〜」だけど、ちょっと王道すぎて(シリーズ全体としても、1エピソード中でも)先が読めすぎてしまうのが難点。そういえば、テーマ曲の「世界に一つだけの花」がシングルカットされるらしい。(もともとは SMAP のアルバム「SMAP 015 Drink! Smap! 」に収録されている曲 作詞・作曲とも槇原敬之氏)シングルカットはいいから槇原敬之氏がセルフカバーバージョンを出して欲しい。
第八話
感想書き忘れ。
第九話
確かに、主人公が大きく変わったのは「つきつけられた自分の死」に直面したからである。しかし、これまでのエピソードで主人公と関わった生徒が少しづつ変化を見せてきたのは、死という究極な、ある意味暴力的ともいえる出来事に触れたからではない。生徒達を変えたのは、まぎれもなく主人公の考えや言葉といった彼そのものだったのだ。
もし身の回りの誰かが「ガンで長くないらしい」と聞かされたとしたら、その誰かがどんなロクデナシであっても優しくしてやろう、今までどんな軋轢があっても無かった事にして付き合ってやろう、と思うのが普通だろう。これは、言い方を変えれば「死というものはその人の様々なものを吹き飛ばしてしまうほどの破壊力を持つ」という事なのだ。そして、吹き飛ぶのはマイナスだけではないのだ。
主人公の静かな熱意に触れ、少しづつ人数が集まり上手くいきそうになった矢先に中止問題が浮上する合唱。ここでぶつかった壁を壊すのは、それらが動き始めた時と同じく主人公の熱意や言葉、もしくはそれら主人公によって変わった生徒達であるべきなのだ。
もちろん「それを知った後にくる問題」を描く為に、途中で生徒が知ってしまう展開にしたのだと思うし、なによりこれまでの流れを考えれば上で描いたような事を軽んじているとは思えない。しかし、そうだとしても「バラバラになりかけた生徒達だけど、先生の余命が僅かだという事を知って病院で合唱しましたとさ」といった「ほれほれ泣いちゃうツボでしょ」という薄ら寒い流れにはちょっと失望してしまった。(後日中:完全に買いかぶりすぎだった。この後は終始この調子の三文芝居が繰り広げられる事になる)
第十話
感想書く価値なし。
第十一話(最終話)
八話あたりから三文芝居へとまっしぐらに突っ走って、最終回は近年まれに見るベタベタっぷりを余すことなく発揮。四話・五話くらいまではなかなかの出来で「これはよくある " 主人公死んじゃう話 " を新しい切り口でやるつもりなのかも」と期待していたのだが、なんてことはない使い古されたパターンに収まってしまった。
当初オレが期待していた本人と周辺の温度差をどう見せていくのかと思えば、「死んじゃうらしいぜ」という伝家の宝刀を早々に抜いた後は、常時必殺技発動の無敵状態になってしまった。第九話の感想にも書いたが、死とは言うまでもなく究極的な力を持つ。それは絶望をもたらし巨大な壁を作ると同時に、死という事実以外の全てを霞ませる破壊力も持っているのだ。この作品には、その「余命幾ばくも無い」という理由だけで人の心を動かし、トラブルを消し去るといったシーンがいくつもあった。しかし、その際に消え去ったのはトラブルだけでなく「主人公、中村秀雄」という人間そのものでもあったのだ。" 僕の " 生きる道として作品を描くならば、最後まで周囲が「僕」を中村秀雄として見つづけ、その中村秀雄と向き合いながら共に生きて行く必要があった。シリーズ終盤、同僚や生徒たちが見つめていたのは中村秀夫ではなく、余命が1年という可哀相な青年だった。
こんな風に描くのなら「僕の生きる道」ではなく
「誰でもいいからもうすぐ死ぬらしい人が生きる道」
というタイトルにすればいい。
確かに、必死に生きる姿こそが「僕」であるという見方もできる。実際のところ主人公にとってはそうだったのだろう。死と向き合う前後では行動力という点では大きく異なるものの、行動に移した事のベクトルはさほど変わっていない。しかし周りの教師が、生徒が、そして作品全体が見ていたのは彼の生き様ではなく、単に死を目前にひかえた可哀想な青年でしかなかった。そして、その中心にいた「僕」の姿はあまりにも虚ろだった。
もっとも、これはある意味リアルであるとも言える。死を目前にして膨大な生への熱量を発する人間が身近にいれば、ちょっとやそっとの個性など霞んでしまい、生、そして死に目が向かうのを止めることは難しい。しかしこれはドキュメンタリーでもなければノンフィクションでもない。僕の生きる道という看板を掲げるなら、最後まで周りが僕を僕として見続ける様を描き出すべきだったのだ。
補足
僕を僕として描く、に関して質問があったので補足。簡単に言ってしまえばドラマ後半で描かれた主人公には、中村秀雄という個性を跡形も無く吹き飛ばす「余命1年の青年」という特大のレッテルが貼られていたという事である。
回りが余命を知ってなお「僕の生きる道」を描く事は可能だと思うが、その為には上に書いた「温度差による衝突」が避けて通れないテーマであり、このあたりをじっくり描こうとするとかなり難しい。(だからこそ1・2話を見てこのドラマに期待していた)
ある程度簡単にエンターテインメントとして仕上げつつ「僕の生きる道」を描くなら、ごく近しい人以外は余命を知らなかったという展開にして、最終回ラスト15分で生徒達や同僚が真実を知り、回想で泣かせるなんていうパターンにした方がよっぽどマシだったと思う。
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