火垂るの墓の描いたもの
2005年8月28日 18:48 | コメント (0) | トラックバック (0)
これは Diary ページに書いたものを加筆・修正したものです。
火垂るの墓。説明の必要もないほどに有名な作品で、8月には毎年のように地上波で放送されている。兄妹がじわりじわりと真綿で首を絞められるかのように破滅に向かって行く展開は強烈で、小さいときに見るとトラウマ級の衝撃を受ける。
一方で少し大人になり、斜に構えて物を見るようになると「てゆーか、働かない清太が悪いだろ。あのおばさんの言ってるのは正論。節子を死なせたのは清太だ」なんて人も増えてくる。
おばさんの言い分は概ね正しいだろう。言い方はきついが内容は間違ってはいない。そして清太が働けば未来はもっと違ったものになったかもしれない。
しかしこの作品は、誰の言い分が正しいとか、おばさんはもうちょっと優しくしてやればよかったのにとか、あの当時清太の年なら誰でも働いてただろなんて事が言いたいのではない。
描こうとしたのは兄妹ではなく、彼らが置かれた状況
絵・動き・感情ともにあれだけの密度で描かれると、そこに目が行ってしまうのは当然だが、この作品で重要なのは清太と節子が何をしたか以上に、彼らが置かれた世界そのものだ。
親を亡くした子供を預かった親戚が、その子供に辛く当たる。子供が生きる為に働かなくてはいけない。子供がごく普通に笑って生きることができず、本当なら社会と大人が全力を挙げて守るべき存在が過酷な生き方を強いられた世界があった。
優しい親戚に恵まれた兄妹もいたかもしれない、バリバリと働いて力強く妹を養っていった兄もいたかもしれない。しかし、その子供達が生きていたのもやはり、こういった世界だったのだ。
言うなれば、清太と節子はその異常な状態を分かりやすく描くためにクローズアップされた「とある兄妹」という事だ。この作品の柱は「世界」であり、清太と節子という兄妹はあくまでその世界に生きる子供たちの「1つの(しかし多くの)ケース」を描いたにすぎない。
つまり、清太と節子だけに注目して終わる事は、この作品をほとんど見ていないに等しい。
異常が正常に書き換えられた世界
おばさんの言い分は概ね正しく、戦時下に食いぶちが2人増える事を考えれば、強い非難を含んだ口調や多少の搾取さえも.....それを肯定するか否かは別にして.....理解することはできる。そしてそれは清太と節子という兄妹にのみ襲いかかった辛く悲しい出来事ではなく、当時さまざまな場所であり得た状況に他ならない。
ところで、おばさんの言う正論は現代の日本においても正しいだろうか。疑問符をつけるまでもない。今の世の中で、お国の為に働かないという理由で子供に辛くあたり、子供が生きる為に働く事は当然であると手を差し伸べない大人がいたとしたら、間違いなく軽蔑され、心底それを信じているような人間は頭がおかしいと思われるだろう。
戦争で起こる悲劇とは空から爆弾が降ってくる事だけでも、鉄砲を持った兵隊が攻め入ってくるだけでもない。戦場とそこに身を置く兵士だけでなく、人々の暮らす街の物差しがとんでもない目盛りに書き換えられ、そこに住む人々さえ歪んでいく。
数十年経って振り返ると異常にしか思えないことが正常とされた時代があった。そして、それを書き換えたのは戦争という行為だった。
それこそが「火垂るの墓」という作品で語られた内容だ。
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