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GUNSLINGER GIRL : 全13話

2005年6月11日 00:10 | コメント (2) | トラックバック (0)

基本情報

公式ページ  相田裕が同人作品として発行していた同名オリジナルマンガが商業誌に発表の場を移し、その後アニメ化されたという一風変わった道をたどってきた作品。

 瀕死の少女を救い職業訓練まで施す社会福祉公社という政府機関は、その実、少女たちに洗脳処置を行い暗殺などの工作員として利用する影の組織だった。彼らは義体と呼ばれるその少女と担当官の男でチームを組んで活動していた。

 主人公は少女たちへの洗脳に否定的な担当官ジョゼと、そのパートナーヘンリエッタ。彼らを中心に、様々なスタンスで共に仕事をするパートナーの様子を丁寧に描く。GUNSLINGER とは gunfighter(銃使い / 銃の名人)もしくは、銃を持った犯罪者のこと。

シリーズ総観

「少女と銃・純粋でいて偽りでもある愛情・システムとして組み込み済みの悲劇」この3つが本作品の見所であり、人によってはその全てを嫌悪する可能性もある内容と言える。また、物語中に何か唯一の正しい選択や判断が無いと落ち着かない人にとっては、イライラする作品かもしれない。

 義体という技術と公社という組織がある.....特大の嘘であるこの2つを除くと、残りの部分は驚く程リアルに描かれている。それは銃器の細かさや取り扱い、任務における手際といったディテールの細かさというよりも、公社に身を置く人間やその周囲が何を思い、どう行動しているかという部分の丁寧さだ。人物の性格に関しても極端さが少なく.....それゆえ似た印象を受ける人物が結構多いという弊害もあるが.....物語に落ち着いた雰囲気を与えている。

原作よりもテーマ性が際立っている

 原作のある作品の場合、原典とアニメを比べると、ほとんどの場合テーマ性などは原作の方がより克明かつ鮮明に描かれている。しかし、この GUNSLINGER GIRL はアニメの方がその辺りをきっちりと描いている希有な例である。

 アニメ版 GUNSLINGER GIRL はギリギリのラインで「義体とは何か」という矛盾と葛藤を描いた作品になっているが、原作は.....ミもフタもなく言ってしまえば.....それを一歩踏み越えた作品となってしまっている。

 シリーズ総観が長くなりすぎたため、残りはエピソード別の感想の後に書いています。

各エピソードの感想は内容に触れますのでご注意ください

第1話 兄妹 fratello

AMATI のバイオリンケースから取り出した FN P90 サブマシンガンを乱射するヘンリエッタと、彼女の過去や訓練の様子をカットバックで見せる鮮烈な印象の第1話。セリフやシーンの間の取り方も非常に上手く効果的。
 作戦準備の手際の良さや、各セクションに配置された人員とシステム、同僚の義体に対する考え方などが、社会福祉公社という得体の知れない団体に存在感を与えていた。

 また、絵としてのアクションシーンにも見所が多い。両手で行儀良く持っていた AMATI のバイオリンケースで男を殴り飛ばすシーンの躍動感や、銃を乱射する足下にバラバラと落ちる薬莢のリアルな動き、サブマシンガンのカートリッジ交換の動作にサポート役の少女が手榴弾を投げようとした男をライフルで狙撃する様子など、実に細かく、かつ説得力があった。

 音楽の使い方も効果的で、絵・内容との相乗効果を生んでぐいぐいと話に引き込んでいた。人によってはこのエピソード全体に嫌悪感を抱く可能性もある内容だが、それはすなわち、この作品が描こうとするなんたるかが、綺麗に現れていたと言い換えても良いだろう。

 見た人の感想は「続きが見たい」か「こんなもの二度と見たくない」の二者択一になりそうな、そんな第1話だった。

第2話 天体観測 orione

第1話を補完するエピソードで、強烈なインパクトのあった前回を動とするなら今回は静。暴走、暴れた、と表現されたヘンリエッタの行動を、さらなる回想シーンで紐解く構成となっている。

 社会勉強としてレストランで食事中、ジョゼのナイフを片付けようとしたウェイターの背後に一瞬で回り込み、腕を押さえつけて奪い取ったナイフを喉元に突き付けるヘンリエッタはしかし、その行為に問題がありましたかと尋ねる。彼女たちは任務の為に条件付けと呼ばれる洗脳を行われており、そういった行動全般に罪の意識が起きないように「設定」されている。
 しかし、そういった設定はこのレストランでの出来事や、ジョゼに危険が迫った第1話のように時として歯止めの利かない行動を生む。それを押さえつけ、思うように操る為に更なる条件付けを行うのが公社としての方針なのだが、ジョゼは頑に拒んでいる。それはジョゼなりの優しさと言えるのだが、同時に「そのような行動をするための存在」としてのみ生きる少女たちにとっては、むしろ辛い事かもしれない。

 ヘンリエッタに優しく接するジョゼ、そんなジョゼに " 本人の意識と、外見的には " 無垢な信頼を寄せるヘンリエッタ。一緒にいる事そのものが悲しみを生むという自家中毒のような状態だが、各種設定がギリギリなところでバランスを保っているように思う。もっとも、そのアンビバレンツな自家中毒状態に説得力を持たせるために各種設定がある、なんて捉え方もできる。

第3話 少年 ragazz

今回の主役は、生まれてからずっと病床に伏せていて、数年前に公社に引き取られたリコという少女。任務終了後、下見の際に偶然仲良くなった少年に姿を見られたリコは、一瞬迷った後に「さよなら」と銃を向ける...

 少年に、今度会う時は楽器の演奏を聴かせて欲しい(リコも AMATI の楽器ケースに銃を入れている)と頼まれたリコは、楽器を聞かせるどころか2度と会えないであろう事も納得していながら、ヘンリエッタと一緒にバイオリンの練習をする。そんな普通の女の子のような感情を持ちながら、任務の際は条件付けと訓練によって身につけ(させられ)た行動を取る。
 今回のポイントはもちろんここで、少年と出会った瞬間からバレバレとはいえ、うまく描かれていたように思う。ただ、下見シーンの後、少年と会った事を話してもいないのに「もし誰かに見られたら殺せ」という注意をリコ本人に向けて言うのは(制作者の意図としては「視聴者に向けて」だが)、あまりにあからさまで、無粋であるような気がした。そのセリフが無くても意味が分からないという人は少ないだろうし、どうしても入れたいのならせめてリコ以外の誰かに向けて言うか、回想など別の場面で描いた方が良かっただろう。

 翌朝、目覚めたリコは自分が少年を撃った事になんら引っかかる気持ちを残す事無く、自分の手が思い通りに動く事実を噛み締め、冒頭と同じ「社会福祉公社、私はここでの生活をとても気に入っている」という言葉で締めくくる。
 今回の任務は公社への資金提供を行っている人物の依頼による暗殺であり、彼らが正義の名の下に動いている組織ではない事が語られた。その一員に加わる事によって初めて病室を出る事ができた、そして盲目に公社を信頼するリコの言葉が重い。

第4話 人形 bambola

今回の主役トリエラの担当官ヒルシャーも必要以上の条件付けを嫌っており、それが原因で二人はたびたび衝突していた。条件付けとはミもフタも無く言ってしまえば「設定」であり、その内容は担当官がその義体に望むものと言い換える事ができる。
 妹のように扱われるヘンリエッタ、あくまで仕事の道具として見られているリコ。求められる役割や演じるべき姿が分かりやすい2人と違い、ヒルシャーに何を求められているか分からないトリエラは苛立を覚える。当のヒルシャーは冷血という訳でも、トリエラに感心が無い訳でもなく、単にどう接したら良いのか分からないといった様子。

 なんというか、まるで付き合い始めの恋人のよう。ジョゼとヘンリエッタの関係はどこかイビツな恋愛関係だが、この二人はごく普通(?)の寡黙な男と真面目な女の組み合わせに見える。
 任務終了後、ヒルシャーの「(これまで定番だからと惰性気味にプレゼントしていた)ぬいぐるみではなく、可愛い服といったプレゼントはどうだ」という提案に対し、「私は(これまでもらったパリっとした服の)タイをしめる時の気の引き締まった感じが好きです。これまでいただいたぬいぐるみには名前をつけているので、いつも通りのぬいぐるみをください」と答えるって、どんだけラブラブだよ。

 おそらく基本的な条件付けは「人を攻撃する事を躊躇せず嫌悪感を抱かない」「担当官を守る」というもので、それ以外は担当官の裁量に任されているのだろう。

第5話 約束 promessa

現在は任務から退いているクラエスの過去を描いたエピソード。クラエスの担当官となったのは、軍警察への復帰を条件に3年間公社で働く事になった元軍人ラバロ。二人の関係と共に義体そのものの生い立ちも描く。
 訓練を離れた魚釣りによって生まれた信頼。ラバロの記憶を消された今でも、メガネをかけている時はやさしいクラエスでいてくれという、かつての約束を守り続ける様子など、いわゆるせつない展開をしたエピソードだったが、あまり心に残らなかった。
 第2話の感想に書いたように、世界観自体が悲劇の存在を含むこの作品においては、ひとたびバランスを崩すと、途端に物語の背景にあるものが単なる設定にしか見えなくなってしまう。要は、描きたいシチュエーションから遡って話を作っているようで、鼻についてしまうのだ。他とどう違うんだ、と問われると明確に答えるのは難しいが、やはり今回の話はバランスが多少崩れていたように思う。

第6話 報酬 gelato

今回はテロリストのアジト強襲を描いた純粋なアクションもの。公社主導ではなく外部からの依頼によるヘルプとしての作戦参加で、手慣れたジョゼの振る舞いや、疎まれる事に慣れているヘンリエッタの様子が、これが彼らの日常である事を感じさせる。
 トリエラチームとの息のあった連携も見所だが、やはり今回注目すべきは「撃たないでください....助けて....鉄砲を持った恐い人がいて」と敵に近づくヘンリエッタ。敵はそんな彼女に優しい言葉をかけておびきよせ人質にするつもりだった、と後味が悪くならないように描いてあったが、「危ないよお嬢ちゃん、早くこっちに逃げて来なさい」なんて優しい言葉をかけられたとしてもそばに行ったら殺しちゃうワケで、なかなかえげつない。

 特別にアイディアがかかったアクションや展開は無かったが、彼らの普段の仕事ぶりがきっちり描かれていて良かった。任務完了のご褒美にヘンリエッタがおねだりしたのはジェラート。任務前、街を歩いている時にスクーターに二人乗りする男女をじっと見つめるなんてシーンもあり、どうも「ローマの休日」に憧れがあるらしい。

第7話 守護 protezione

今回も純粋なアクションでリコチームが主役。準備期間も含めた様子を描いた前回とは違い、気づかれぬよう保護対象に近づき、敵の正体を探って逃亡計画を完遂するまでの実務が細かく描かれていた。
 リコチームを見かけた敵二人が「少女に気をつけろ」という噂と共に公社の話を思い出し、リコを手練の暗殺者かもしれないという目で分析する用心深さがリアル。もう一方の男は「まさか。だいたい少女に気をつけろって言ったら街を歩けない」という反応で、このあたりも裏社会でそんな噂が囁かれていそうな雰囲気をよく出していた。
 敵を引きつけて車で逃走中、焦る様子を微塵も見せず「ジョゼさん、もう撃ってもいいですか」と聞くヘンリエッタと、淡々と「もう少し待ちなさい」と答えるジョゼにぞくり。ヘンリエッタの前に美味しそうなデザートでもあって、それを食べてもいいかと尋ねているかのような会話のトーン。

第8話 御伽噺 il principe del regno della pasta

最も初期の義体アンジェリカが主役。定期問診をマジックミラー越しに観察する現在のシーンの後、社会福祉公社が誕生した頃の回想に移る。
 ミもフタも無く言ってしまえば、条件付けにより銃撃や格闘に恐怖や嫌悪を感じなくなる様子と、その際に生じる記憶の欠如という副作用を紹介するためのエピソード。組織と研究内容、その進行具合といった描写の細かさ、そこで働く人間の普通さが、逆に静かな恐怖を感じさせる。

 悪の組織の怪しい建物の中で、どうみても悪者にしか見えない連中が訳の分からない機械で誰かを殺人マシーンに仕上げる、なんて話はいくらでもある。そして、その荒唐無稽さゆえに観客はそれを「フィクション上の設定」として受け入れ、誕生した殺人マシーンを記号的に見る事ができる。
 しかし、今回語られたのは、現実にそんな事があるとすればこんな仕組みなのかもしれない、と思わせる内容だった。政府が裏で何かを企んでいる、というパターンもありがちといえばありがちだが、「だからこそ」と言えるリアリティに溢れていた。

第9話 彼岸花 lycoris radiata herb

これまで描かれたエピソードや担当官と義体の関係は、この技術と組織が存在すると仮定するならばひょっとしたらあり得るかも、という意味でのリアリティを持つものだった。そんな中、今回のメインであるエルザチームの関係はこれまでで最もイビツだが、ひょっとすると最も現実味を帯びていると言えるかもしれない。

 エルザの担当官ラウーロは、義体は仕事の道具であると割り切っている。リコの担当官ジャンも似たような考え方だがラウーロはより徹底しており、義体が「少女」であると扱おうとはしなかった。かといってラウーロは冷酷でビジネスライクな人間という訳ではなく、ソリが合わないジョゼと打ち解けようと飲みに誘うような前向きな性格で、そこで話していた内容も人間味溢れるものだった。
 つまり、ラウーロはごく普通の感覚の持ち主だからこそ、義体と距離を置いて情が移らないようにし、仕事の効率化の為に条件付け(洗脳)を強化していた。そしてエルザは強化された条件付けにより、任務遂行、すなわちラウーロへの貢献が最優先事項となり、それ以外のすべてを無駄なものとして排除するようになっていた。

 前半でそんなラウーロとエルザの関係をきっちり描き、後半は、共同任務の中でジョゼとヘンリエッタの仲の良さに動揺したエルザがミスをしてラウーロに見放されるといった流れ。もっと言えば、クライマックスの一瞬、任務を取りあげられて茫然とするエルザを描くために今回のエピソードは存在している。
 ラウーロとエルザの関係、公社の中にあってなお2人が特殊である事の説明、エルザ・ラウーロの人物描写、ジョゼとヘンリエッタの関係に理想を見たであろうエルザの反応。下準備ともいえるこれらのシーンをじっくり描き、クライマックスでは映像・音楽・脚本といった全てを動員して、そうして積み上げたブロックの最上段からダイブする。
 この作品は脚本の流れ、特にクライマックスに向けて話を盛り上げる展開が緻密で秀逸だが、その中にあってなお今回のラストは飛び抜けたクオリティを誇る。

 それぞれのアクションが「彼、彼女ならそう言うはず、そう反応するはず」という観客の中の人物像にピタリとはまっており、物語を見せられているという感覚がほとんど無い。
 そこに至る経緯と生じた結果が納得できるからこそ臨場感というものは生まれ、物語中の出来事は「描かれた」ものから「起こった」ものへと変わる。全てが1点へと収束するこのクライマックスは何度見ても目を離す事ができない。

第10話 熱病 amare

ラウーロとエルザが殺される事件が起こった。義体を扱う部署である捜査2課を快く思わない1課は、失脚させるネタをつかむため独自の調査を開始する。

 外部.....捜査1課の捜査官.....からの視点と、事件をもみ消そうとする内部からの視点を見せる事によって義体そのものを描くエピソード。さらに、ジョゼとヘンリエッタのやりとりを時折挿入することによって、いっそう担当官と義体という関係が浮き彫りになる構成になっている。
 怖さの感覚は人それぞれだが、「ほんの少しおかしいぞ」というくらいのさじ加減は静かな怖さを生む。今回はそのほんの少しが随所にちりばめられており、改めて義体という存在のイビツさをつきつけられる。

第11話 恋慕 febbre alta

多少なりともカンの良い人なら前回冒頭で、そうでない人でも前回中盤で描かれた弾丸の報告書で気付いたであろうラウーロ・エルザ殺害事件の真相が語られた。

 「ジョゼさんのためにする事は、したいって感じなんです」と捜査1課の女性捜査官に語るヘンリエッタは、正に恋する普通の女の子だった。彼の為に何かしたいと願い、しかし自分にできることは...ジョゼが時折ヘンリエッタに望むような...普通の女の子でいる事ではないと悩む。

 そして「もし私だったら」で始まるヘンリエッタの推理は、彼女とエルザの違いが、その愛情を受け止めてくれる相手がいたかどうかでしかない事を表していた。ヘンリエッタは自らの感情を条件付けによるものではないと思っており、(強力な条件付けの結果生み出された)エルザのそれとは異なっている。しかし、それが叶わぬ想いである事を知った先は同じであるからこそ、エルザの行動を想像することができた。
 エルザの行動はヘンリエッタが歩く道から外れたところにあるのではなく、同じ道の、ずっと前の方にあるだけ。もっと言えば多くの義体にとってもそうなのだ。

 前回そして今回と、視聴者が義体に対して思うであろう事を外部の人間である捜査官が代弁していた。何をどう工夫しようと、全てを丸く納めるなら公社を解体する他ないだろう。しかし、公社が存在する事を前提に何をすればいいのかと考えると、ジョゼが捜査官に語った言葉が「とりあえずの善作」なのだろうかとも思えてくる。

第12話 共生 simbiosi

テロリストによる誘拐計画の情報を入手した公社は、義体を代わりに誘拐させアジトに攻め込む計画を立てる。これが久々の復帰戦になるアンジェリカは気負いのため先走ってしまう。

 冒頭の訓練中、前回「ジョゼを撃って自分も死ぬ」という芝居をしたヘンリエッタが、淡々と「ちょっとやりすぎちゃったかな」とトリエラに話す様子にどきどき。

 任務自体は別にどうという事は無く、アンジェリカが単独行動を取った末に負傷してしまうところがキモなのだが、そのあたりにやや唐突な印象を受けた。現場において、アンジェリカが先走るに至る焦りの描写が無く(もちろん、それまでにそれを感じさせるシーンはいくらでもあったが)、ミスの内容もアンジェリカの立場や状況とさほど関係がないケアレスミスでしか無かった。言ってしまえば、物語の都合上ケガをする必要があった、と映ってしまったのだ。

 「どうせもう死ぬんだわ」とアンジェリカ.....義体は生体部品を交換する事により大抵の負傷からは復帰できるが、当然それを繰り返すと寿命を縮める事になる。序盤でも語られていたこの問題が最後のキーになるらしい。

 そういえば、クラエスは第5話で語られた「メガネをかけている時はやさしいクラエスでいてくれ」という約束をきっちり守っていた.....と書くと、作品を見ていない人(そんな人がこの文章を読むのか?)には「クラエスはやさしいまま暴れなかったんだね」と思うかもしれないが、実際はメガネを外して暴れたという事だったりする。

第13話 流星 stella cadente

物語全体に強引な決着をつける事はせず、終わりっぽい雰囲気、で締められた最終回。

 「もしマルコーさんが、私たちを可哀想だとか、申し訳ないとか思っているなら.....それは間違いです。これは、条件付けかも知れません。でも私、いいんです。それでも.....いいんです」
 世界設定に対する言い訳か、白々しすぎる免罪符にも聞こえるセリフだが、これまで語られてきた物語が、この言葉にずしりとした重みを与えていた。

 「パスタのお話、聞かせてください」とアンジェリカに言われ、マルコーが嬉しそうに絵本を開くシーンにグッときてしまった。ラウーロにせよマルコーにせよ義体を憎み嫌っている訳ではない。割り切らないとやっていけなかったり、何度も打ちのめされ疲れ果てた末に今の彼らがある。
 マルコーのアンジェリカへの愛情は、彼女の飼っていた犬を探す前半で既に描かれていたが、この何気ないやりとりはそれ以上の優しさに溢れていた。気の利いた言葉をかけたわけでも抱きしめたわけでも無いが、それに匹敵する、いや、それ以上のつながりがそこにはあった。

 星空と第九のラストシーンは回想を挟むでもなく、誰かが何かを語るでもない。見ている人それぞれが何かを思い浮かべてくださいといった演出。これまで語られたエピソードを思い出してもいいし、それらによって描かれたヘンリエッタ、トリエラ、リコ、アンジェリカ、エルザといったそれぞれを思い返してもいい。それだけの深さをもった物語であり、それにふさわしいラストだった。

作品全体

葛藤を描きだす説得力

 この作品は真っ先に目につく設定をとっぱらって考えると「このどうしようもない状況で、どうすればいいんだ」という葛藤を描いた物語であると言える。
 絵空事である物語を盛り上げる為には説得力が重要であり、何かの事件に立ち向かうアクション物や、ライバルと競い合うスポーツものであっても同様だが、葛藤を描こうとする際はさらに欠かせないものとなる。

 登場人物たちが「どうしようもない」と言っているこの状況は本当にどうしようもないのか。そのどうしようもない状況に至るまでに、主人公やその周辺はなんとかそれを回避しようと努力し、またその内容は適切だったのか。そして、現状を抜け出そうと工夫する数々の行動は納得できるものなのか。
 簡単に言ってしまえば「彼らが落ちたのは、避けようがなく、出られないくらい深い穴だ」という事が描けていなければ、穴の底から脱出しようと奮闘する登場人物たちの努力や葛藤は「ごっこ遊び」に変わる。

 しかし、この作品では公社や義体のシステムといったロジックな部分はもちろん、各登場人物の行動や心情もきっちりと描かれており、それぞれが自分という枠の中で精一杯に動いていた。さらに、誰か一人の行動や考え方だけが唯一の正解でそれ以外が間違っているという世界ではなく、どの言い分にも一理があり、一方でそれに真っ向から反対する言い分にも一理がある。
 最終回でヘンリエッタが言った「でも私、いいんです」の「でも」は、言うまでもなくヘンリエッタの意見であり、それに賛同する者もいれば、否定する者もいるだろう。しかし、その言葉には確かな重さがあった。そして、その圧倒的な重さはそれまでに語られた物語によって作られた物である。この「でも」が、ずしんとした重みをもつ事こそが GUNSLINGER GIRL という作品の大きな魅力であると言える。

見せ方の素晴らしさ

 描かれる内容そのもが良く出来ていたのは上に書いた通りだが、その見せ方に関しても非常にクオリティが高い。シリーズ全体の構成もきっちりしており各話の話運びも自然だった。中でも各話のクライマックスシーンは、脚本・演出・作画・構図・カメラワーク・セリフ・音楽といった全てが、それぞれの役割をきっちり果たしており、全方向から物語を押し上げている。
 また、公社という謎の組織を語るのに単に設定を羅列して終わるのではなく、批判的な者や外部の目といったものを使って作品世界でそれがどう評価・判断されているかをきっちり描いていたあたりも良かった。
 物の長さや重さといった物理的事実以外は、どんなものでも基準を示さない限り、それがなんであるかを判断する事は難しい。現実と変わらぬ世界を描いた物語でもそれは大事だが、この作品のように現実にあり得ない世界を描く場合は殊更重要になる。

設定が悪趣味 ≠ 作品が悪趣味

この作品は設定の異質さとそのインパクトから「悪趣味だ」のひとことで切り捨てられることが多い。しかし、設定と作品の内容は切り離して考えなければならない。GUNSLINGER GIRL に限らず、フィクションを「悪趣味な設定だから悪趣味な作品だ」と短絡的に結びつけるのはかなり危険だ。

 悪趣味という基準は人によって大きく違うと思うが、物語における悪趣味とは、描かれている内容がどうこうではなく、設定が単にそれを見せるためだけに終始し、なぜそうなったのか、そこで何が起きているのか等はどうでもいいような作品の事だと思う。
 フィクションは言うまでもなく、作者という神によって全てが生み出されている。その神が箱庭の手入れや人々が着る洋服作りだけに終始し、そこで起きる出来事やそこにいる人物の気持ちや行動をおざなりにしていたとしたら、それほど趣味の悪い世界は無い。ハード SF や正統ファンタジーなど、箱庭と衣装を作ること自体にかなりの力が割かれるジャンルもあるが、もちろんそれらも舞台を作って終わりというものではない。
 そういう意味では、ひと昔前に盛んに作られた中身のまるで無いトレンディドラマや、お約束や受けるギミックだけ(だけ、が重要)をちりばめたギャルゲーなどの方がよっぽど悪趣味と言える。

 GUNSLINGER GIRL は女の子が銃撃ってバンバンバンで終わる作品でもなければ、少女を不幸な境遇に立たせて虐めるだけの物語でもない。公社と義体というものが存在する箱庭を作り、そこで人々が何を考え、行動し、どんな時間が流れているのかを描こうとしている。
 確かに、ミもフタもなく言ってしまうと作者自身が少女と銃といった方面に倒錯気味なのは間違いないだろう。しかしこの作品はそれだけで終わる事なく、人間の残酷さと葛藤を描く内容にまできちんと昇華されている。

ちなみに......

 概観にも書いた通り原作コミックの方は、残念ながらここまでの文章で支持してきた「やるせない葛藤を描いた作品」には今一歩届いていない。
 原典である原作を「このテーマに今一歩届いていない」と言ってしまうのもおかしな話だが、それはアニメスタッフによる描き方が見事だったという以前に、そもそも原作者自身の描きたい・描こうとしたものが、この文章で勝手に「テーマ」としたものと若干違っているという事があると思う。

おまけ:悪趣味と言われる設定

さて、上に書いたように設定の趣味云々と内容の善し悪しは別物なので、この作品の内容そのものを語る際に、設定の趣味がどうだという話に触れる必要はさほど無い。必要は無いのだが、ここでちょっと考えてみよう。

 この作品で真っ先に目につく「少女・洗脳・殺人」といったフレーズを抜き出すと、どうしてもそのインパクトで反射的に嫌悪してしまうが、それら表面ではなく「利益を効率的に得るために何者かに残酷な犠牲を強いている」という状況そのものを思い浮かべて欲しい。ちょっと周りを見渡すだけで、世の中にはそんな状況が溢れている。

 我々が普段口にしている食べ物....特に肉....を生産している現場では何が行われているだろう。食肉と少女による殺人を一緒にするなというベタな反論が真っ先に浮かぶだろう。繰り返しになるが少女・洗脳・殺人といったキーワードではなく「利益のために犠牲を強いる」という部分の問題だ。肉を効率的に生産するために遺伝子改良が行われ、劣悪な環境で利益最優先で育てられる。そして伝染病にかかった牛やニワトリが発見されたら数万単位で処分される。
 生きるために必要な食べ物と殺人を一緒にするな。次に思い浮かぶのはこの言葉だろうか。それではキャッチアンドリリースなどと嬉しげに言っているスポーツフィッシングは? 野鳥やキツネを撃つハントは? 獲物の巣穴に入るために長い時間をかけて改造されたダックスフンド は? 愛玩のために毛むくじゃらにされたシーズーは? ブルドッグは? チワワは? アヒルは?
 何をどう言おうが人間と動物を一緒にするな?.........少女・洗脳・殺人がポイントなのではない。多くの者にとっての利益のためなら残酷な犠牲もいとわないという考え方は、それをいちいち認識できないほどに世の中には溢れているという事だ。

 動物達の考えている事が分かるなら、フィクションの中でさえ悪趣味だと切って捨てられる GUNSLINGER GIRL の世界は、この現実の中に数えきれないほど存在している。

コメント(2)

Kaz.

2005年6月14日 22:46

> peter anderson さん

残念ながらどれも実際に見た事は無いのですが
シビアな展開をする作品みたいですね。

機会があればぜひ見てみたいです

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peter anderson

2005年6月14日 03:33

カテゴリー的には、エルフェンリート、NOIR、MADLAXなどに近いですね。

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