2010年7月
2010年7月10日 19:53 | コメント (0) | トラックバック (0)
2010年7月27日
まだ残ってるのか、旧エネループ。
今や充電池の代表的存在となった SANYO のエネループ。実は、去年の10月ごろに充電可能回数がこれまでの1000回から1500回にアップした新型が発売されている。旧モデルとの併売ではなくモデルチェンジなので、現在市場に残る1000回充電タイプは既存在庫という事だと思うのだが、Amazon ではまだ残っている。
上記のものは、2本同時に急速充電可能な充電器に単三エネループ(旧) が2本ついたタイプで、現在は実に72% OFF の 890円で販売されている。充電器には4本同時に充電できるタイプもあるので、一見そっちが良いように思えるが、実のところ大抵の人はこちらの2本充電タイプで事足りる。
身の回りに乾電池を使うものはたくさんあるが、今時4本もの電池を使う機器はそれほど多くないからだ。エネループは自然放電性の低さにより充電したまま保管できるため、乾電池2本使用の機器をいくつ使っていたとしても、予備電池が2本あれば「電池切れ → 切れた電池を充電器にセット → 充電済みの予備を機器にセット → 充電が終わった電池を予備として保管」というサイクルで問題無く回す事ができる。
4本充電が必要になる場面というのは、4本使用の機器を大量に所有し、いちいち「2本充電 × 2」を行うのが面倒であったり、一度に大量の機器が電池切れを起こすようなハードな使い方をする状況くらいだろう。
最初に書いた、去年10月発売の新型エネループは充電可能回数以外の容量・電圧などの特性に変化は無いため、新モデルも充電器の性能自体は全く同じで、当然旧型の充電器で新型電池を充電する事もできる。
そのため、今新型エネループの「2本充電器 + 2本電池」のパックを買うなら、旧型を買い、差額で新型電池を追加購入した方がおトクなのだ。(2本パックの電池はかなり割高なのでこの買い方はオススメしないが、旧充電器パック + 新型電池2本で、新充電器パックと同程度の 1,500 円になる)
長い目で見れば節約になるのは分かるけど、それほどたくさん電池使わないしなぁ、と躊躇していた人は、この機会に買っておくのも良いかもしれない。
2010年7月9日
3作目の劇場公開にあわせ、今週と来週、踊る大捜査線 THE MOVIE が地上波で放送されるらしいので、以前書いた感想に若干手を加えて再掲。
テレビ版は本筋、小ネタともに絶妙なバランスで好きなのだが、劇場版はどちらも、スペシャル版の悪いパターンでいまひとつ。劇場版面白かったー、という人は読まない方が良いかもしれない。
劇場公開は随分前なので、必要以上にネタバレを気にする必要はないと思うが、いずれの感想も、物語の核心に触れているので、未見の方はご用心。
踊る大捜査線 THE MOVIE
さんざんもったいぶって描かれた小泉今日子演じるサイコ女もイマイチなら、それをもう一方のエピソードに絡める演出もアクビもの。それ以上に呆れたのが、青島刑事が刺された事に「本部と現場が」なんて意味を持たせようとしている物語運び。
もっと早く踏み込んでいれば刺されなかった? .....否。
本部が所轄を軽視しなければ刺されなかった? .....否。
これは単に、犯人を確保するという最も慎重になるべき状況において、緊張感を無くした青島・恩田両名の落ち度でしかない。
「青島が要注意人物の候補者を捜査本部に FAX で送ったにも関わらず、本部が所轄からの情報を軽視して見落とした事によって、警察に乱入したそいつに刺された」という TV 版第9話とは、青島刑事が負傷したという結果自体は同じでも、そこに至る過程が全く違う。
加えて言うなら「逮捕の瞬間が一番危険」というのは、和久さんの過去の傷であり本作品では重要な事柄のひとつで、さんざんそれを聞かされている青島にこのミスを犯させるというのは、非常に悪趣味だ。
TV 版で既に描いている内容の焼き直しを展開し、そのうえピントがズレているというのは非常に情けない。青島を載せた車を多くの警官が敬礼で見送るシーンは、さすが劇場版と金がかかっている事を感じさせる絵面だが、そこに至るまでの展開が上記の通りなのでお寒い限り。
中身の無いがらんどうな、スケール感という風船を膨らませただけの駄作。最もレベルの低いタイプのスペシャル・映画化のパターンだと思う。
踊る大捜査線 THE MOVIE 2
テレビ版から一貫して現場と指揮系統の確執をテーマにしているこの作品だが、今回はそれ以上に組織と単体がクローズアップされていた。しかし、その際に重要になる組織の鈍重さ・現場との確執という大事な部分の描き方や状況設定などは、各シーンにおける制作者の意図は伺い知れるものの表面的かつピント外れでお粗末な印象を受けた。
恩田刑事が撃たれた場面も、あの事態が発生したのは発砲許可を出さなかったためではない。周囲に逃げ惑う一般市民があふれる中、人質を連れて歩き回る犯人を相手に発砲という手段で安全に事態を収束させることなど不可能である。
つまり、あの場面は「現場が本部に行動許可を要請したが保留された」「恩田刑事が撃たれた」という2つの事実が描かれているだけであって、その間に関連性はほとんど無い。良い出来事であろうが悪い出来事であろうが、なんとかそこに至る原因(起きたのが良い事なら手柄、悪い事なら責任、と言い換えてもいい)を見つけたいのが人間であり、これが実際に起きた事件なら間違いなく前者(発砲許可の保留)に責任の所在を求めようとするだろう。
しかし、これはフィクションである。「本質を無視して分かりやすい部分に責任を押し付ける」といったテーマを描こうとする場合を除いて、作中で「原因と結果」として繋げられているものは、実際にその関係が成立している必要がある。
あの場面で恩田刑事が撃たれるという事態が、単純なたらればで回避できるかどうかは疑問だが、あえてつっこむなら女性本部長以前に、あの状況で発砲許可さえもらえれば事態を収拾できると思っていた SAT 隊長に何か言ってやりたい。まあ彼は冒頭の対テロ演習において、スタングレネードを使っただけで安心して敵のまっただ中に飛び込み、テロリスト役の青島刑事に銃をつきつけられてしまうトホホな人なので仕方ないのかもしれない。
全体を通して女性本部長に現場を軽視するセリフをワザとらしく言わせ、いかにも所轄署員と観客が反発を覚えるように見せてはいるが、実際のところ今回の捜査において、所轄署員に割り振られた仕事や与えられた指示は、反旗をひるがえすほどに常軌を逸していたわけではない。
それどころかむしろ「最前線」に、最も安全に、最も効率よく、最も高確率で、最も高い能力を発揮させるという、指揮官のあるべき姿としては、ごく正しいとさえ映った。
そもそも、指揮系統と現場といった具合にシステムそのものに焦点をあてようとするなら、特定の誰かを悪人に仕立ててもピントがズレるだけなのだ。わかりやすいカタルシスを描くために選んだ結果だとは思うが、根性の悪い女性本部長を引きずりおろしたところで、単に気に食わないやつが一人いなくなってせいせいした、という以上の意味は無い。
「組織という大所帯の鈍重さと、個のフットワークの軽さを対比させる。組織の呪縛から離れ犯人を追いつめ、さらに最後には有能なリーダーがいるなら組織も悪くないと青島に啖呵を切らせる」
.....おそらく監督や脚本家が意図したであろう本来の話はこのようなものだろう。しかし、各シーンがそれぞれの意味を描き出せていたかというと残念ながらそうではなく、結果として全体が非常にあやふやなものとなってしまった。
小ネタ大ネタ含めギャグやノリが寒くなっている事を考えれば、駄作としか言いようの無い前作の方がまだマシかもしれない。
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