2009年1月(全 17 件)
2009年1月
Diary
2009年1月30日 17:38
2009年1月30日
新しいサイトの作成作業。Win IE6 向けにいろいろ用心して CSS を書くのは慣れてしまったが、「なんで?」という場面で Opera が妙な挙動を見せる事がちょいちょいあるので困る。
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このサイトに関して
About
2009年1月21日 16:34
このサイトは...
ここは Kaz. が運営する個人サイトです。HTML や CSS , Mac ネタなどを取り扱っています。引用部分や投稿されたコメントなどを除き、このサイトに掲載された全ての文章・画像の著作権は Studio Ponytail に帰属します。
2009年2月に Serene Bach から Movable Type にシステムを変更しました。その際、Garally および Diary の全て、そのほか一部のページの公開を停止しました。
リンクに関して
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推奨環境
IE 5.5 / 6 / 7・Firefox 2 / 3・Opera 9.2 / 9.6・Safari・iPhone で、概ね意図通りのレイアウトでの閲覧が可能です。Mac 用 IE 5.2.3 でもごく細かい部分を除いて表示可能です。これらの環境以外で表示が大きく崩れる場合は CSS をオフにしてご覧ください。(極めて寂しい画面になりますが、閲覧自体は可能です)
細かいこと
CSS メディアクエリに対応しているブラウザ(Safari 3 / Opera 9 / Firefox 3.1)では、ウインドウ幅によってサイドメニューの幅が段階的に変わります。
Opera 9.6 / Firefox 3.1 ではページの再読み込みを行わなくてもサイドメニューの幅が変わりますが、Safari 3 では再読み込みを行う必要があります。ウインドウが広い状態でページを開きサイズを縮めた場合など、ページが見辛くなる可能性がありますので再読み込みを行ってください。
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作品全体
Review > Comic > DEATH NOTE
2009年1月31日 10:50
最後まで頭脳戦の面白さを柱にした構成
人を殺す力を持ったノートという危険な設定を持った作品だが、必要以上に善悪論に走る事無く、あくまで知恵と知恵のぶつかり合いという頭脳戦の面白さを前面に出した展開は、巻を追う毎に邪悪になっていくライトの表情と共に、ゾクリとするスリルを味合わせてくれた。
自信満々に行動する悪役は、時に主役以上に魅力があったりするが、この作品では主人公がその悪役。しかも、その悪さはただただ残酷であったり人の生死に無頓着といった単純なものではなく、自分が利用できるものを徹底的に利用し、なおかつそれを切り捨てる際に一切の感情が伴わない非情さで、それは時に清々しくすらあった。
当然の事があたりまえに起こる世界
マンガではありがちな奇跡や「実は...」といった展開がほとんど見られなかったのも魅力のひとつで、連載当時は「復活して出てくるんじゃないか」と噂された南空ナオミはきっちり出てこないし、最大のライバルであるエルや、実の父親ですらライトの策略のままに死んでしまった。
回想を挟む場合も事前にしっかりその場面の一部は描かれており、後だしジャンケン風に設定が挟み込まれる事もなかった。これら、展開のフェアさも、読者を物語に引き込む一因と言えるだろう。
見下すライトの瞳がたまりません
そして、小畑健の絵が生み出した迫力と説得力も忘れてはならない。人物や背景がリアルである事は言うまでもなく、アオリにフカン、ヒキから超ドアップまで、緩急を上手くつけた画面運びを自由自在に描く様は圧巻だ。 シャープに整えられた描線は生々しさがなく極めてイラスト的だが、強いライティングを意識した陰影付けは特に人物の表情に力を持たせ、クールさの中に強い感情を見せるライトを魅力的に描く上で大きなプラスとなっていた。
後半は若干失速気味か
エルの死後を後半、それ以前を前半とするなら、明らかに後半は物語の組み立てを失敗しているが、それでもエンディングへの軟着陸は比較的うまく行ったと言えるだろう。
ライトの無様な最期は、読後感や倫理観、何より掲載誌が少年ジャンプということを考えれば、これも描くべき形に描いたといえる。
デスノートと、ライトが行った行為そのものについてあえてここで触れはしない。それは、作品全体はもちろんプロローグとクライマックス、エピローグが特に象徴的だが、DEATH NOTE はあくまで決められたルールの中での頭脳戦を描いたエンターテインメント作品だからだ。
作中においてはライトの思想そのものの描写は少なく、他の一般論を大量に持ってくれば何らかを論じる事は可能だが、それはもはや、作品とは別に語るべきだろう。
高位の有段者による囲碁や将棋の対局.....これが DEATH NOTE の第一印象だったが、妙な路線変更をすることなく無事投了までの様子を描ききってくれた良作だった。
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決着
Review > Comic > DEATH NOTE
2009年1月31日 10:41
閉幕(コミックス12巻)
相対するライトとニア。最初で最後のその舞台のために二人は長く準備を続け、そして遂に時は来た。
捜査員を魅上に張り付かせ、執拗なまでに調べあげ「何か」を行ったニアと、それすらも予測していたライト。さらに、メロによる高田誘拐というアクシデントにすら冷静に対処するライトは、およそ絶対的な優位を確信しながら、その時を待つ....
この先は物語の結末に関わる内容が書かれています。未読の方はご注意ください
入れ物は良いのだが...
ライトとニアの直接対決、メロの扱い、ライトの演説とニアの返答と、いずれも用意された入れ物はオーソドックスながらうまく組み合わせられていたように思う。
しかし、それぞれに入れられた物が正しかったかというと、多少疑問が残る。
まずメロの扱い。最後の誘拐に、あたかも魅上のミスを誘い出す意図があったとすること自体に無理があるが、仮にそうだったとしても、非合法を通り越したこれまでの行動をすっきり忘れて「二人でエルを超えました」とニアに言わせてしまうのはムシが良過ぎだろう。
ノートを手に入れる際の真贋確認であっさり仲間を殺してしまう人物を容認するなら、自分もそうやって試せば騙される事はなかっただろうに。それとも、自分はやらないが、他人がやるのは構わないというのだろうか。
エルを偉大な存在としたまま、それを超えたキラを捕らえる展開を描く為に、後継者が力を合わせて立ち向かうという流れ自体は綺麗だと思うが、お膳立てがあまりにもお粗末だ。このエンディングに持って行くなら、もっと慎重にニアとメロの関係、それぞれの行動を描いておく必要があった。
次に、ライトの演説とニアの回答。ここにきて、再びライトに長々と演説させること自体蛇足的な感もあるが、あえてそれを描いて「正義と悪」をテーマに何かを語ろうとするなら、ライトの演説以上にニアの返答を、強く、大きく描くべきだろう。
誰一人ライトの味方をしないという事実から、ニアのいう「ここにいる私とあなた以外の者がどう考え何を正しい正義とするのか」は明白なのだが、ここでこそ「天才 vs 天才」で進んでいた物語に、満を持して一般人を登場させるべき時だろう。
現在の倫理観に照らし合わせるとライトの考えが否定されるのは当然で、ニア以外にくどくどと反論させない事によって、「ライトが間違ってるなんてこと、言わなくても分かるじゃん」と描いたつもりなのかもしれないが、10ページに渡って延べられた演説に対抗する反論としては、演出が多少弱い気がする。
理詰めの物語は、感情で締めくくられた
これまでの行為そのものは別として、ライトが演説で語った方向性全てを否定するのは難しい。それは現実世界においても、犯罪に対する処罰にはいわゆる「罪の償い」と共に、罰による抑制という意味合いが含まれており、この考え方自体はライトが語ったものと同一線上にあるからだ。もちろん、同じ線上にあっても意義や価値が異なる場合はいくらでもあり、今回の状況は正にそれにあたると思うのだが、極端な例を挙げたり、罪と罰、善人と悪人といった一般論のまま話を進めると、その是非、善悪の判断は非常に難しくなる。
そこで、物語は、演説そのものではなくそれを語る人物に焦点を当てることを選んだ。
実際のところ、何らかの演説を行った人間の人柄がどうであろうと、述べた内容の善し悪し、真偽、意義といったものは一切変わらない。演説ではなく、科学的事実に置き換えてみれば分かりやすいが、どんなバカが述べたところで地動説は正しいし、高名な科学者が唱えても天動説は間違っているということだ。
しかし、聞いた時の印象という点ではそれを述べる人間の人柄や肩書きが大きな意味を持つ。派手に髪を染めた男が語尾をのばしながら喋るのと、大学教授がデータや例を挙げながら説明するのとでは、まるで信頼度が違ってくる。
そこで、演説するライト自身の価値を落とす事によって語られた内容に不信感を与え、実際の内容を論理的・倫理的に考える以前に、感情的に、そしてなにより分かりやすく否定させたのだ。
これはズルいが、同時にウマい。扱いが難しく、無限のループに陥る可能性すらあるライトの考え方そのものの吟味を放棄し、あくまで印象による否定を物語としての幕引きとしたのだ。
同じ手法はエピローグでも伊出刑事の「俺が " これでよかった " と言い切っているのは、あそこでニアが負けていたら俺達は今生きていない」という台詞で用いられている。
言葉だけを追うなら「俺が生き残っていたから、少なくとも俺にとっては良かった」というのはかなり強引な物言いだ。しかし、悪人ではない松田刑事と伊出刑事が生き残っている事は、読者にとって素直に「良かった」と受け入れることができる状態であり、ライトの行動をどうこう考える前に感情的に納得できるのだ。
善と悪という問題を横に置き単純にデスノートの奪い合いに焦点を絞れば、ライトが潔く散るというエンディングも可能だったと思うが、読後感や少年ジャンプという掲載誌を考えれば、収まるべきところに収まったと言えるだろう。
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確信
Review > Comic > DEATH NOTE
2009年1月31日 10:39
ライト vs ニア(コミックス第11巻)
二代目エル=キラ=ライトであることを始め、現状を恐ろしいまでに正確に推測するニア。そしてニアは、初代エルの遺志を継ぐものとして、容疑者であるライトを殺害する強硬解決策ではなく、証拠を突きつけて叩きのめす道を選ぶ。
ニアは部下の女性捜査官を高田のボディーガードとして潜り込ませ、遂に現在犯罪者を裁いているもう一人のキラの正体をも確信する.....
推理のスピード感と妥当性
粛正行為そのものについては全くと言っていいほど触れることなく収束。というより、電話をかけてきた相沢に「裁きの対象のズレが修正されている事からも明らかです」とニアが答える事だけで済ませてしまった。ここまであっさりしていると逆に力が抜ける。
人形を使ったニアの推理がなかなか楽しいが、1カ所大きく気になるところがあった。ジェバンニの捜査に進展がないという場面で、死神を介した連絡という手段を考慮しているが、それはもっと前、X キラが魅上であると推理する場面でもファクターの一つとして考えるべき重要事項だろう。
X キラが魅上であると推理する場面では「ライトが現キラと連絡が取れない」事が大きなカギとなっており、死神による連絡を考慮すると X キラ=魅上はかなりあやふやになる。連絡が取れないという条件が必要な時は死神を考慮外とし、死神そのものについて考える時はそのあたりをきっちり踏まえて推理する。ニアが多少キレ者程度というならこの抜けっぷりでも構わないが、完璧に近い天才とするならこの推理の差はフェアじゃない。
二人の天才が立つ場所
一方で感心したのが、ニアとライトという二人の天才が他を置いてけぼりにして戦いを演じる中、その現状を改めて分かりやすく描いた相沢刑事による筆談の発見と密告だ。決死の覚悟で筆談の事実をつかみ、何かが大きく変わる事を期待してニアに連絡を取るも、ニアとライトはすでに足下も見えない前を歩いている。何かの凄さを見せるために必要不可欠な「普通の人の基準」が、相沢刑事の徒労とニアの容赦ない「蚊帳の外なんです」という言葉で描かれていた。
クライマックスに向けて分かりやすく提示された「何かを思う高田」「魅上による確認」という2つの伏線。あからさまに描写が避けられていたメロの再登場は、これまたかませ犬としての王道を歩きまくりだが、最期くらいは偶然に頼らず活躍して欲しい。
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